歴代カーオブザイヤー受賞車を振り返り、クルマのあるべき未来を考察する!

car-of-the-year

1. ワールドワイドに存在する「カーオブザイヤー」

みなさんは「カーオブザイヤー」という言葉を聞いたことがありますか?これは文字通り、ある年に発表された新車の中でそれらを代表する車に与えられる賞であり、総合的に選考委員が判断して決定します。たいていはイヤーカー1台と、設置してあれば特別賞や部門賞にそれぞれ1~2台ずつ選出されます。

歴史をたどれば、1950年にアメリカの自動車雑誌「モータートレンド(Motor Trend)」が世界に先駆けて設置した賞で、過去1年間で最も優秀な自動車に対して授与したものが始まりです。現在では「カーオブザイヤー」を冠した自動車賞が世界各地にあります。

世界各地にある「カーオブザイヤー」ですが、ここでは主に「日本カーオブザイヤー」についてと、その後に誕生した「RJCカーオブザイヤー」、そしてまさに世界ナンバーワンを決定する「ワールドカーオブザイヤー」についても少しだけ説明します。なお、今後「日本カーオブザイヤー(Car Of The Year Japan)」を英単語の頭文字を取った「COTY(コティ)」と称します。

多数ある「カーオブザイヤー」ですが、選考委員が違うため選出される車にも違いが出ます。また、主宰している国や地域が違えば、やはり選出される車は違ってきます。COTYの選考委員には自動車競技出身者が多いので、彼らが実際にテストドライブをして運動性能を認められた車がイヤーカーに選出される傾向があります。

しかし、だからと言って選出されたクルマはそれだけが優れているわけではありません。車は今や「世界商品」なので、海外に輸出されている車が現地でさまざまな角度・観点から評価されて、海外の「カーオブザイヤー」にも選出されることがあります。逆に言えば、ワールドクラスの車を作らないと評価の対象にならないと言えます。日本車は十分、この水準に達しています。

初めにCOTYの略歴とその選考委員の特徴、イヤーカーの紹介をし、それから簡単に「RJCカーオブザイヤー」と「ワールドカーオブザイヤー」、そしてそれらのイヤーカーについて紹介します。

2. 「日本カーオブザイヤー(COTY)」について

COTYは、日本国内で販売される乗用車の中から年間を通じて最も優秀なものに与えられる自動車賞です。1980年(昭和55年)から始まり、選考は2段階で行なわれ、第一次選考でベスト10を選抜し、この中からイヤーカーが決定されます。主催は「日本カーオブザイヤー実行委員会」で、雑誌社を中心に2019年時点で37社で構成されています。

選考委員は60名を上限とし、主催媒体を発行・発売・制作・放送する法人に属する常勤役員もしくは社員で構成される実行委員による推薦・投票で決定されます。対象となるのが、前年の11月1日~当年の10月31日までに日本国内で発表・販売された乗用車のうち、ノミネートされた車種です。

ノミネートされるにはいくつか条件がありますが、主なものは「継続的に生産・販売され、年間の販売台数が500台以上見込まれること」、「当年の12月下旬までに一般消費者が日本国内で購入できること」、「新しいコンセプトに基づいて作られたクルマであること」、「本質的に新しい機構を採用していること」などがあります。

採点方式は、第一次選考でノミネートされた10台に、選考委員1人の持ち点「25点」のうち、最も高く評価した車種に必ず10点を付け、残りの15点を他車種4台に振り分けるという「持ち点配分法」という形式です。ですから、最高点は10点×選考委員の数となります。

選考基準は日本カーオブザイヤー実行委員会実施規約によると、コンセプト・デザイン・性能・品質・安全性・環境負荷・コストパフォーマンス等を総合的に評価するとなっています。

では、COTY歴代の受賞車の中から筆者が「これぞ」と思う17台を紹介します。ひょっとしたらみなさんが今乗っている、もしくは乗っていた車が歴代の受賞カーかもしれませんよ!

①5代目ファミリアBD型(第1回・東洋工業)

5代目ファミリアBD型(第1回・東洋工業)
5代目ファミリアBD型(第1回・東洋工業)出典:wikipedia
Taisyo – photo taken by Taisyo, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

20~30代の方には「ファミリア」という車名にも「東洋工業」という自動車メーカーにも聞き覚えがない方が多いかと思います。それもそのはず、ファミリアは現在、商用バンとして名前そのものは残っているものの、過去には日産、現在ではトヨタからOEM供給を受けていて、自社開発の乗用車モデルは2004年4月に販売を終了しています。

「東洋工業」は現在のマツダで、現社名になったのは‘84年5月です。第1回日本カーオブザイヤーを受賞した当時は旧社名時代だったので、そのまま表記します。

受賞したのは3ドアハッチバックタイプで、この代以前まではFRを採用していました。この頃からFF車が増加していきます。FFはエンジンやトランスミッションをエンジンルーム内にコンパクトに搭載できるため、車の全長に比してキャビンを大きく取ることができるメリットがあります。

角ばったボディースタイル、138センチ弱の低全高、窓面積を広く取ったスタイルが特徴です。また、前席はフルフラットにでき、後席は2分割でたためるのに加えてリクライニングできました。長物を入れたり居住性向上に大いに寄与し、これらのシートアレンジは現在の車づくりにも影響を与えています。

当時、赤のボディが人気で、屋根部分にルーフキャリアを装着しサーフボードをボルトで固定させるスタイルが流行し、「陸(おか)サーファー」という言葉が生まれるほどでした。ちなみに、日本だけでなく、後にアメリカやオーストラリアでも現地のカーオブザイヤーに選出されるなど、ワールドクラスの評価・人気の高さでした。

②初代ソアラ(第2回・トヨタ)

初代ソアラ(第2回・トヨタ)
初代ソアラ(第2回・トヨタ)出典:wikipedia

‘81年2月に発売が開始された2ドアノッチバッククーペスタイルの高級GTカーです。このコンセプトは、6代目クラウンの2ドアハードトップの事実上の後継車種に当たります。高級車だけあって、上級グレードにはタッチパネルを使用したマイコン制御式オートエアコン、走行可能距離、クルーズコントロールが装備されていました。

今では採用車種が多くなったデジタル表示式スピードメーターにLED(当時は発光ダイオードと呼ばれていました)のタコメーターを組み合わせたり、音声警告機能(エレクトロニックスピークモニター)などが搭載され、車のエレクトロニクス化を象徴する1台でした。

ちなみに、2代目は初代のボディーを継承しつつ、全体的に角を取り曲線を取り入れたデザインになりました。高額であったのにもかかわらず若者を中心に非常に人気がありました。「バブル期の高級デートカー」としても知られています。

③初代MR-2(第5回・トヨタ)

初代MR-2(第5回・トヨタ)
初代MR-2(第5回・トヨタ)出典:wikipedia
怪屋 イワシ投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

日本の自動車メーカーで初めての市販ミッドシップ車で2ドアクーペスタイルのスポーツカーです。「ミッドシップ車」とはエンジンを前後ドライブシャフト間に配置する方式で、乗員とエンジンが車体中央に配置できるため操舵性・回頭性に優れます。名前は「Midship Runabout 2seater」に由来します。

通常、このような特殊なエンジンレイアウトを採用する車種には、専用のシャシーやサスペンションなどの足回り、トランスミッションなどを設計しますが、MR-2は低コストで量産化するために同社の当時のカローラ(E80型)のものを流用しました。その甲斐あって、廉価なグレードは200万円をゆうに切るほどコストパフォーマンスに優れました。

当時、トヨタの代表取締役であった豊田章一郎さんが自らテストドライブに参加し、走りの良さをほめたたえたというエピソードがあります。

④5代目シルビア(第9回・日産)

5代目シルビア(第9回・日産)
5代目シルビア(第9回・日産)出典:wikipedia

‘88年5月に発売された5代目シルビア(愛称S13シルビア)は、歴代シルビア中最も販売数が多かった2000ccクラスの2ドアクーペモデルです。同時代のライバル、ホンダ・プレリュード(駆動方式FF)と「デートカー」として覇を競い合いました。

とても全高が低い車で、129センチしかありません。筆者はこの車に乗せてもらったことがありますが、とても上方部が狭かったのを記憶しています。当時としてはとても未来的な外観で、全体的に角が取れたスタイリッシュなボディー、細い4灯式ヘッドランプで特に若者に人気がありました。公益財団法人日本デザイン振興会が選出する昭和63年度の「グッドデザイン賞」も受賞しています。

この後‘93年10月から発売された6代目シルビアは3ナンバーを超える幅広なデザインとなり、車重が100キロ以上増したため軽快さが失われ、非常に販売は不振でした。皮肉なことに、6代目シルビアが発売されてから5代目シルビアの中古市場価格が高騰したことは、その当時シルビアファンの間では有名な話でした。

⑤初代セルシオ(第10回・トヨタ)

初代セルシオ(第10回・トヨタ)
初代セルシオ(第10回・トヨタ)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

世界中にトヨタの実力を示した圧巻の1台で、現在はレクサスブランドの「LS」として君臨する大型FR高級セダンです。トヨタがアメリカを主戦場に戦える高級車として‘80年代初頭からマーケットリサーチした結果、このクラスでの需要が見込まれると判断し、開発に乗り出しました。

この当時の北米高級車市場は、ドイツの自動車メーカー・メルセデスの「Sクラス」と、BMWの「7シリーズ」の寡占状態にありました。トヨタはその市場に「機能性の高さ」と「高品質」を売りに勝負を挑みました。

その頃、日本はバブル経済の真っただ中で、同社のショーファードリブンカー(chauffeur-driven:専門の運転手が運転する高級車)である「センチュリー」は別として、同社の最高級車であるクラウン以上のさらなる高級車を望む顧客の声がありました。

それまでにもすでに海外、特に北米では日本車がたくさん走っていましたが、「高級車の新機軸」を打ち出したセルシオは瞬く間に「ワールドプレミアムカー」として受け入れられました。メルセデスベンツはその品質・精度の高さに驚き、研究用にセルシオを購入して解体・分解したという逸話が残っています。

⑥初代ディアマンテ(第11回・三菱)

初代ディアマンテ(第11回・三菱)
初代ディアマンテ(第11回・三菱)出典:wikipedia
Toyotacoronaexsaloon投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

三菱初の3ナンバー専用車として‘89年に改正された税制改正のタイミングに合わせてデビューし、大柄なボディーの高級車である割に比較的低価格であったこと、当時流行していたピラードハードトップ式ウィンドウなどで爆発的な人気を得ました。後にこれに追随してボディーを拡大し3ナンバー化した車に、トヨタ・マークⅡ、日産・ローレルなどがあります。

ここで、税制改正について少しお話しします。税制改正は‘89年4月から施行された消費税(当時は3%)と同時に、自動車関係諸税が軽減されました。その1つが「3ナンバー課税」です。

現在は自動車税の税額は車格ではなく排気量で決まっています。しかし、‘89年の消費税導入以前は、2000cc以上の排気量に加えて車格(全長470センチ以上・全幅170センチ以上)も3ナンバーの対象になりました。しかも、その当時の3ナンバーの税額は(2リッター以上3リッター未満で)81500円でした。そのため、3ナンバー車に乗ることは富裕層であることの「ステータスシンボル」で垂涎の的でした。

また、「FFの高級車」として先鞭をつけたのはこのディアマンテで、後に発売されたトヨタ・ウィンダム、マツダ・クロノス、日産・セフィーロ、ホンダ・アスコットイノーバなどが追従し、FF3ナンバー4ドア高級セダンが一般化しました。

ちなみに車名の「ディアマンテ」は、スペイン語で「ダイヤモンド」を意味します。三菱のシンボルマークである「スリーダイヤ」からネーミングの着想を得たことから分かるように、三菱がこの車にかけた期待の大きさがうかがえます。

⑦FTO(第15回・三菱)

FTO(第15回・三菱)
FTO(第15回・三菱)出典:wikipedia

三菱として約20年ぶりのネーミングの復活となった2ドアノッチバックスポーツクーペで、曲線基調のボディーに斜めに切り落とされたリアエンド、3ナンバーサイズの全幅、全高130センチの「ロー&ワイド」なスペシャルティーカーです。

後に発売された「インテグラ・タイプR」と並んで、FFのスポーツカーとしてのハイスペックな走りは、玄人をもうならせました。また、この手のスポーツカーとしてはMTの方が人気が高いのが常でしたが、FTOには「4/5段スポーツモード付AT」が搭載されていて、広告などでの販促活動が功を奏し、ATを搭載したグレードがよく売れました。

最上級グレードの「GPX」は、2000ccとしては珍しいV6エンジンでMIVEC(ミベック:三菱版VTECと考えて下さい)機構を備え、リッターあたり100psを発生しました(自然吸気エンジン)。燃料消費率もスポーツ走行をしなければリッターあたり約10キロは走り、この手のスポーツカーとしては経済的に走れました。

⑧6代目シビック/シビックフェリオ(第16回・ホンダ)

6代目シビック/シビックフェリオ(第16回・ホンダ)
6代目シビック/シビックフェリオ(第16回・ホンダ)出典:wikipedia
Toyotacoronaexsaloon投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

初代が'72年に販売が開始されて以来、半世紀近くの歴史を持つ車種で、ホンダの中では最も長い同一車名で販売されているのがこのシビックです。歴代のボディーは4ドアセダン・3ドアハッチバック・2ドアクーペなど幅広い展開をしています。ヨーロッパやアメリカなど世界各国で販売される世界戦略車で、ホンダにとって重要な位置づけの車です。

この第16回の受賞は実は3度目の受賞で、第4回(‘83~‘84年)、第12回(‘91~‘92年)にも受賞しています。筆者にとってのシビックはやはり3ドアハッチバックタイプのボディーです。

先代(5代目)からホンダマルチマチックと称するCVTがトランスミッションに加わったこと、「タイプR」というハイスペックグレードが加わったことが大きな変化として挙げられます。1つ下の「SiR」のグレードとともに、走り好きな若者に非常に人気がありました。

このタイプRは1600ccながらリッター100ps以上の出力を発生し、最大出力185psを8200回転時に、最大トルク16.3kg-mを7500回転時に発生するという、車としては超高回転型のエンジンです。筆者はバイクにものりますが、まるで同社の4気筒バイクのような加速フィーリングです。低いギアに入っていてもストレスなく高回転域まで回るエンジンは、加速する楽しみを十分味わうことができます。

エンジンラインナップは豊富で、VTECなしのSOHCエンジンからさきに挙げたVTECありのDOHCエンジンまで選べ、ユーザーの好む使い方や走り方で選択できたことがこの車の人気の一因でした。

⑨初代プリウス(第18回・トヨタ)

初代プリウス(第18回・トヨタ)
初代プリウス(第18回・トヨタ)出典:wikipedia
根川大橋 (Negawa Ohashi) – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

車の進化の歴史を語る上で外すことができない重要な1台です。化石燃料の枯渇と環境負荷を同時に解決するために開発されたエポックメイキングなこの車は、ハイブリッドシステムを搭載する世界最初の量産車として発売されました。ハイブリッドとは、「交配種・雑種・混成の」を意味する英語です。

つまり、「エンジンだけでなく他のものからも駆動力を得る」ということです。充電用バッテリー搭載することで、走行状況に応じてエンジンによる直接的な駆動力と、バッテリーを介してモーターを回転させて得られる駆動力を0%~100%の間で発動させます。また、走行時の運動エネルギーは減速の際、「回生ブレーキ」によって回収されます。

回生ブレーキの理屈は簡単です。現在では少なくなってしまったかもしれませんが、自転車についているライトを思い出してください。暗くなった時に前輪タイヤ側にライトをパタッと倒し込んで走行すると、ライトが点灯しますよね?そして、そうするとペダルをこぐのが重くなりますよね?

ライトにはモーターがつながっていて、モーターが回ればライトが点灯します。モーターを回転させるのが接している前輪です。そして、モーターを回すには負荷がかかります。

例えば、自転車を運転していて止まろうとした時、ブレーキをかけるのではなくライトを点灯させるとします。ライトに付属しているモーターを回すと負荷がかかり、やがて自転車は停止します。停止するまでライトは点灯し続けます。このライトを点灯させるための電力を蓄電するのが、ハイブリッド車のバッテリーの役割です。

それまでの車は、制動時に「ブレーキローター」という車軸に付いている円盤状の部品を、「ブレーキパッド」という部品で押し付けることによって生じる摩擦力で行っていました。つまり、走行時の運動エネルギーをブレーキローターとブレーキパッドを介して、熱エネルギーに変換していました。

しかし、大気中に飛散してしまう熱エネルギーは、車を駆動させる動力にはなり得ません。制動時に運動エネルギーをモーターを回転させることで電気エネルギーに変換するシステムが「回生ブレーキ」なのです。「エネルギーのリサイクル」と言えます。

この当時の同社のカローラ・セダン(1500cc、5MT)の燃料消費率(当時は「10・15モード燃費」という尺度がありました)がリッターあたり18~19キロであったのに対し、初代プリウスのそれは28キロだったので、いかに革命的であったかがうかがえます。

その初代プリウスの価格がベースグレードで215万円だったことには非常に驚かされました。筆者は正直、バーゲン価格かと思ったほどです。恐らく、開発費と原材料費はその価格から察するに赤字であったと思われます。それがゆえに、トヨタの本気度の高さを感じました。ちなみに、初代プリウスは後述する「RJCカーオブザイヤー」のイヤーカーにも選出されています。

⑩初代ヴィッツ(第20回・トヨタ)

初代ヴィッツ(第20回・トヨタ)
初代ヴィッツ(第20回・トヨタ)出典:wikipedia

‘99年に登場したヴィッツは、全長3メートル61センチ、全幅1メートル66センチの車格に余裕をもって大人4人と必要最小限の荷物を載せられるという驚きのパッケージングで自動車界を席捲しました。

それまであまり注目されることがなかった小型車ですが、このヴィッツの登場により「コンパクトカー」というジャンルが形成されました。小さいこと、廉価であることがネガティブな要因にならない、「クラスレスな車」という価値を生み出しました。

なお、初代ヴィッツ(海外名ヤリス)はヨーロッパ7ヶ国の7つの自動車雑誌社が主催する「ヨーロッパカーオブザイヤー」のイヤーカーにも選出されています。また、‘99年度のグッドデザイン賞・金賞も受賞しています。

車内に乗り込めばシンプルで豪華な電装品などの類はありません。しかし、必要最低限のものは揃っています。最も廉価なグレードでも運転席・助手席エアバッグ、ABSなどの安全装備はありました。しかも、ヨーロッパのコンパクトカーを彷彿させるおしゃれなボディーで100万円をゆうに切る価格で買えたのですから、老若男女を問わない大ヒット作になりました。

カラーバリエーション・エンジン・トランスミッションのバリエーションが豊富であることもヒットした要因です。さすがに後席は大人がのびのびと長時間座るには無理ですが、それでも日常使用するには全く問題ありませんでした。

余談ですが、筆者はこのヴィッツと、後に発売された3代目マーチ(K12マーチ・1200cc・5MT)とどちらを買うか悩みに悩み抜いた上で、後席の居住性を考慮してマーチを購入しました。

⑪7代目アコード(第23回・ホンダ)

7代目アコード(第23回・ホンダ)
7代目アコード(第23回・ホンダ)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介したシビックとともにホンダで40年を超える歴史がある車です。現在は4ドアセダンのみのボディー形状ですが、歴代のアコードには3ドアハッチバック・2ドアクーペ・5ドアステーションワゴンと、多様なバリエーションがありました。ここで紹介する7代目アコードには、4ドアセダンと5ドアステーションワゴンがありました。(2ドアクーペもありましたが、日本では未発売でした)

セダンはサイドに回り込む細いコンビネーションランプが、ステーションワゴンは後端にいくにつれて少しずつルーフラインが下がるスタイリッシュなデザインが特徴です。特にステーションワゴンは伸びやかで贅沢なたたずまいが感じられ、同時期の日産・ステージア同様、絶版になってしまったのは非常に惜しいです。(ステーションワゴンはこの後、8代目アコードのステーションワゴンである「アコードツアラー」に継承されましたが、それも2013年3月に販売を終了しています)

これは筆者の考えですが、日本ではミニバンが非常に人気がありますが、大人数乗車(3列目も使用する状態)をする機会は、一般の方にとってそれほど多くはないと思います。ステーションワゴンは5人までは乗車可能ですし、人数分の荷物もしっかり載せられるのがメリットですから、もっと売れてもよいと思います。

⑫4代目レガシィ(第24回・富士重工業)

4代目レガシィ(第24回・富士重工業)
4代目レガシィ(第24回・富士重工業)出典:wikipedia

レガシィ(legacy)は、「遺産・受け継がれたもの」を意味する英語です。富士重工におけるレガシィとは、水平対向エンジンと乗用型4WDです。「名は体を表す」という言葉がありますが、まさにレガシィはそれを体現した車で、同社の「レオーネ・バン」から継承されたステーションワゴンは、5ナンバーサイズ時代から外観のデザイン・走行性能・使い勝手の良さで非常に人気がありました。

「ステーションワゴンの代名詞」とも言うべきレガシィツーリングワゴンは❛90年代半ばから2000年代初頭までのステーションワゴン人気の火付け役で、他社もこぞってステーションワゴンの市場に参入しました。「商用バンの延長」というイメージを覆し、装備が充実し走りも外観もよく、荷物をたくさん載せられるというメリットを最大限打ち出したのがこのレガシィツーリングワゴンです。

セダンとツーリングワゴンであらゆる需要に応えることができたのも大人気だった理由です。オーソドックスにセダンに乗りたい人、スポーティーに乗りたい人、ステーションワゴンらしく荷物をたくさん積みたい人と、車に求められる要素の多くにレガシィは応えることができました。現行モデルはセダンのみとなってしまったのが非常に残念です。

富士重工業は‘17年4月1日に商号を「株式会社SUBARU」に変更しましたが、COTYを受賞した当時(‘03~‘04)は以前の商号でしたので、そのまま表記しました。

⑬iQ(第29回・トヨタ)

iQ(第29回・トヨタ)
iQ(第29回・トヨタ)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

コンパクトカーのさらに一回り小さな「ミニマムカー」として、ヨーロッパの自動車メーカーを意識して開発されたのがこのiQです。驚くのはその全長です。登録車(普通車)でありながら、3メートルほどしかありません。

これは軽自動車の全長の規格よりも40センチも短いのです。この全長で(全幅は1メートル68センチあります)、3人の大人と1人の子供または荷物を載せるというコンセプトで製作されました。「マイクロプレミアムカー」という車の新しいあり方を提唱したことが評価され、‘08年度グッドデザイン大賞も受賞しました。

後部座席を倒さない状態だと、荷室はまったくないと言ってよいです。ですから、後部座席に座った場合はヘッドレスト直後にリアハッチバラスがあり、後部のクラッシャブルゾーンがほぼないため、安全を考慮し衝突時に後部座席とリアハッチの間にリアカーテンシールドエアバッグ(後突エアバッグ)が作動するようになっています。この形式のエアバッグは同時では世界初のものでした。

iQをもっともそれらしく使うには、普段は前席の2人用として後部座席はヘッドレストを外し前方へ倒し荷室とするのがよいでしょう。後席は緊急用と考えれば、普段は使い勝手の良い荷室付き2シーターになります。小さなボディの割に重量があるので、乗るなら1300ccの方がストレスなく走ります。

⑭CR-Z(第31回・ホンダ)

CR-Z(第31回・ホンダ)
CR-Z(第31回・ホンダ)出典:wikipedia
M 93自ら撮影, Attribution, リンクによる

昭和末期~平成初期にかけて販売されていた同社のCR-Xの後継車種で、先代と同じ3ドアハッチバッククーペです。環境負荷の軽減とスポーツ走行の楽しさを共存させたことにこの車の存在意義があります。

初代CR-Xはリアのデザインに特徴がありましたが、CR-Zもそれを継承しています。リアサイドに回り込むようにデザインされた三角形のコンビネーションが印象的です。そのデザインは高く評価され、‘10年度のグッドデザイン賞・金賞を受賞しています。

運転席に座り込んだ時、ドライバーの上方空間がそれほどなく、かつルーフが後端に向かって落ち込んでいくデザインのため、大人が後部座席に座る時にはかなり圧迫感があるのがネガです。この車もさきに紹介したiQ同様、普段は前席のみの使用を前提とし後部座席は緊急用とする2+2と考えた方がよいです。

2012年次のマイナーチェンジ時に、若干アンダーパワー気味だった出力を向上させるためエンジンとハイブリッドシステムを改良しました。ステアリング内にある「PLUS SPORT」ボタンを押し、アクセルを少し踏み足すと瞬時に力強い加速力が得られる機能が搭載されました。

⑮初代CX-5(第33回・マツダ)

初代CX-5(第33回・マツダ)
初代CX-5(第33回・マツダ)出典:wikipedia
EurovisionNim投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

マツダ新開発のクリーンディーゼルエンジン「SKYACTIV-D」の実力を最初に見せつけたのがこのCX-5です。全長は4メートル54センチとそれほど長くはありませんが、全幅が184センチ、全高が170センチを超えるためかなり大柄に見えます。腰高であるためSUVのような外観に特徴があります。

マツダにはボンゴフレンディ・ビアンテ・MPVなど車名がある程度知られているミニバンを複数抱えていましたが、このクラスには他のメーカーにたくさんライバルがいたため、経営資源を自社内の他の車種に集中させるべく、ミニバン市場から撤退しました。

筆者は、CX-5は「ワンボックスミニバン」と「ステーションワゴン」の要素を兼ね備えた「クロスオーバーSUV」であると考えています。いわゆる「ワンボックスミニバン」は、キャビン(室内)の容積を多く取ろうとするため、どうしてもその名の通り「箱型」になってしまい、形状やデザインの自由度に限界があります。

乗員定数を敢えて5人までとし、現在流行しているSUVとして十分な荷室の確保とデザイン性の高さを共存させたことに先見の明がありました。

ガソリン・ディーゼルどちらのエンジンもおすすめですが、あまり距離を走らない方にはガソリンエンジンを、たくさん走る方にはディーゼルエンジンをおすすめします。車両価格から言えば、断然ガソリンエンジンがおすすめですが、トルクが太く燃料費を抑えられるディーゼルエンジンも捨てがたく、いい意味でどれにするか迷ってしまうかもしれません。

⑯4代目デミオ(第35回・マツダ)

4代目デミオ(第35回・マツダ)
4代目デミオ(第35回・マツダ)出典:wikipedia

本格的なクリーンディーゼルの波が押し寄せたのは‘08年に発売された「日産・エクストレイル 20GT」が契機で、それ以降販売されていたクリーンディーゼル車は大柄なSUVの車種ばかりでした。コンパクトカーサイズの車種に初めてクリーンディーゼルエンジンが搭載された画期的な1台です。

フォルクスワーゲンの「ポロ」をライバルとしてるだけあり、コンパクトカーとしては他社の同カテゴリーのものと比較して数十万ほど高額になっています。しかし、車内に乗り込めば内装の質感の高さに驚かされます。アクセルペダルには「オルガン式フットペダル」が採用されていて、操作時の疲労軽減に寄与しています。

1300ccと1500ccのガソリン(1500ccガソリンモデルはモータースポーツのためのベース車)、1500ccのクリーンディーゼルがあり、6AT、5MT、6MTとトランスミッションのラインナップも充実しています。クリーンディーゼルモデルは筆者の愛車ですが、個人的には1500ccの「15MB(イチゴーエムビー)」も気になります。ナンバーを取得すれば公道での走行も可能です。

昨年(‘19年)9月中旬からは車名をグローバルスタンダード化し、「MAZDA 2」となっています。ちなみに、4代目デミオは‘14年度のグッドデザイン賞・金賞、3代目デミオは後述する「ワールドカーオブザイヤー」の‘08年度のイヤーカーに選出されています。

⑰5代目インプレッサ(第37回・富士重工業)

5代目インプレッサ(第37回・富士重工業)
5代目インプレッサ(第37回・富士重工業)出典:wikipedia
Tokumeigakarinoaoshima投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

富士重工業(現:スバル)で30年近い歴史があるミドルクラス(1500cc~2000cc)の4ドアセダン・5ドアハッチバックを展開する重要な車種です。4ドアセダンモデルは「インプレッサG4」、5ドアハッチバックモデルは「インプレッサスポーツ」というペットネーム(いわゆる車名)が与えられています。

5代目インプレッサには新世代プラットフォーム「SUBARU GLOBAL PLATFORM」が初めて採用され、操舵時のダイレクト感・安定性が飛躍的に向上しただけでなく、衝突時のエネルギー吸収量を先代モデル比1.4倍を達成、乗員保護性能を高めています。

また、スバルの予防安全性能の代名詞となっている「EyeSight(アイサイト)ver.3」はFF車のグレードにも拡大展開し、全車標準装備としました。ver.3では新たに車線中央維持機能が採用され、全車速追従機能付きクルーズコントロール(ACC)の機能強化を行ないました。

EyeSightは車内前方に装備されているステレオカメラで前方を監視して、車両だけでなく歩行者や二輪車、車線やガードレールなど走行上の障害物を立体認識し、自動ブレーキやクルーズコントロールなどを制御する運転支援システムをコンセプトに開発されています。

また、日本車としては初採用となる「歩行者保護エアバッグ」が全車標準装備されています。バンパー内部の圧力センサーが歩行者との衝突事故を感知すると、瞬時にフロントガラスとAピラー(ルーフを支える最も前方にある支柱)の下端をエアバッグで覆い、歩行者の頭部へのダメージ軽減を図ります。

車外のエアバッグだけでなく車内のエアバッグ装備にも力を入れていて、サイドエアバッグ・カーテンエアバッグなど計7つのエアバッグを標準装備としています。EyeSightと併せて、スバルの第一次安全・第二次安全に対する真摯な取り組みは大変評価されています。

番外(外国車)編:7代目ゴルフ(第34回・フォルクスワーゲン)

7代目ゴルフ(第34回・フォルクスワーゲン)
7代目ゴルフ(第34回・フォルクスワーゲン)出典:wikipedia

「スタンダード・イン・ザ・ワールド」にふさわしい車で、‘74年に初代が発売されて以来、半世紀近くの歴史を誇ります。日本で最も知名度の高い外国車の1台で、「間違いだらけの車選び」という著書で知られる故・徳大寺有恒氏が初代ゴルフを高く評価し、日本のモータリゼーションの成熟を促すべくこの著書が刊行されたことは、この著書のファン皆が知るところです。

この年度のイヤーカーとして選出された7代目ゴルフが選考委員に評価された点は、「MQB」と呼ばれるモジュールキットの開発にあります。

ここでは詳細は省きますが、簡単に説明するとMQBは異なる車種において、共有する構成部品の一連の組み合わせである「プラットフォーム」の開発を車格の枠を超えて行なうことで、生産コストと車両価格の抑制、主要技術の共有を可能にすると同時に、高レベルの強度を確保した点です。

例えば、トヨタの車で言えばヴィッツ・カローラ・アリオンの3台の「プラットフォーム」を共通のものにできる、ということになります。本来は別々に開発・生産される車の重要な構成要素であるプラットフォームをいろいろな車種で使用できれば、時間やコストの削減になり、生産性の向上にもつながります。

話をゴルフに戻します。エンジンは1200ccと1400ccのダウンサイジングターボエンジン、そして直近(‘19年10)には2000ccのクリーンディーゼルの合わせて3本、トランスミッションは7速ATが組み合わされます。

日本に輸出された歴代のゴルフにはディーゼルエンジンがありましたが、4代目~6代目までは日本では乗れませんでした。ここにきてディーゼルがラインナップに加わり、ユーザーの選択肢が増えたことは喜ばしい限りです。ただし、最廉価グレードでも300万円を下らないのが悩ましいところです。

番外編:「RJCカーオブザイヤー」について

RJCカーオブザイヤーは、COTYと双璧を成すカーオブザイヤーで、‘91年に創設され翌‘92年が第1回の授賞です。‘90年に設立されたNPO法人・日本自動車研究者・ジャーナリスト会議(RJC:Automotive Researchers’&Journalists’Conference of Japan)が主催しています。

自動車技術の向上・自動車文化の発展を目標に掲げ、自動車の性能や利便性などの評価を行い、優秀な自動車とその技術を検証するとともに、自動車の社会性・交通・安全・環境などを研究し、提言を行うのが組織としてのRJCの役割です。

RJCカーオブザイヤーの発端は、COTYの選考委員の特徴にあります。COTYの選考委員の多くは自動車競技者出身の自動車評論家が多いという点です。そこで、RJCは自動車メーカーなどの技術畑出身の選考委員を登用し、技術や独創性を重視・評価しCOTYとは別の観点で授賞しています。

COTYとRJCカーオブザイヤー(以降、RJCと略称します)の歴代の授賞車を比較すると、興味深い事実が浮かび上がります。COTYが授賞している車種はミドルカー以上の中・大型セダン、SUVが多いのに対し、RJCが授賞している車種は軽自動車、コンパクトカーが多いという傾向があります。

そのような特徴のあるRJCの歴代イヤーカーから3台を紹介します。COTYとは違った観点で選考された車種はどんなものがあると思いますか?

①初代ワゴンR(‘94年次・スズキ)

初代ワゴンR(‘94年次・スズキ)
初代ワゴンR(‘94年次・スズキ)出典:wikipedia
ぽんたら投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

現在、軽自動車の主流を占める「軽トールワゴン」の先駆けで、初代は‘93年11月に発売を開始しました。実用本位で華美で贅沢な装備はありませんが、全高を高く取りシート形状をアップライトにして座った時の占有スペースを小さくし、限られた居住空間を最大限活用したことが当時としてはとても画期的でした。

筆者は以前、100系マークⅡ(‘96年9月~‘00年10月販売)に乗っていましたが、整備工場にそれを預けた時に代車として借りたのがこの初代ワゴンRでした。確かに、マークⅡに装備されていたキーレスエントリーやCDプレーヤー、パワーシート、オートエアコン等の贅沢な装備は何1つついていませんでした。(ついでに言うと、ドアも車体右側に運転席にしか付いていませんでした)

しかし2週間ほど乗っているうちに、その簡素さやいい意味での「見切り」・「潔さ」にとても感動しました。「車の大切さは、人と荷物を載せて壊れないで走れることが一番」という、車にとって最も大切なことは何かということをとても考えさせられました。

「道具としての車」に徹しているそのコンセプトは圧倒的な支持を集め、年齢・性別を問わないベストセラーカーになりました。余談ですが、3代目ワゴンR(MH21S)が筆者の愛車の1台になっています。助手席シート下には収納がついていたり、後席を前方に倒すとフルフラットな荷室ができたりなど、有用性の高い車です。

②初代フィット(‘02年次・ホンダ)

初代フィット(‘02年次・ホンダ)
初代フィット(‘02年次・ホンダ)出典:wikipedia
DY5W-sport投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

同社のコンパクトカー「ロゴ」の後継車種で、‘01年6月に販売を開始しました。この時期の代表的なコンパクトカーであるトヨタ・ヴィッツ、日産・マーチよりも一回り大きく、その大きさは居住性や荷室の広さに貢献し、コンパクトカーを代表する車種になっています。

低床・低重心を可能とした「センタータンクレイアウト」方式は、現在のホンダの小型乗用車づくりにも継承される技術で、車格を拡大せず居住容積も犠牲にしていません。薄型の樹脂製燃料タンクを車体中央下に配置することでこの方式を可能にしました。

デビューした当初、トランスミッションはCVTのみでしたが、その後1500ccエンジンのグレードで5MTも選択できるようになりました。ハイスペックモデルやスポーツグレードがない車種で(2代目以降は「RS」というハイスペックグレードがラインナップに加わっています)、後からMTをラインナップに加えるというのは非常に稀なケースですが、このことでATを苦手とする年配者にも受け入れられました。

立体式駐車場に入庫できる高過ぎない全高、カラーバリエーションの豊富さ、内容の設えのよさなどが相まって、‘02年には年間販売台数33年連続トップだったカローラを上回りトップとなりました。ちなみに、第22回のCOTYのイヤーカーにも選出されています。

③4代目スイフト(‘18年次・スズキ)

4代目スイフト(‘18年次・スズキ)
4代目スイフト(‘18年次・スズキ)出典:wikipedia
Tokumeigakarinoaoshima投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

RJCの選考委員に非常に人気がある、と言っては変ですが、実はこの受賞はスイフトにとって3度目になります。2代目・3代目・4代目と連続3代が受賞しています。それだけでなく、歴代のイヤーカーがスズキからさきに挙げた3台を含め7台が選出されています。スズキの車づくりのコンセプトと、選考委員の選考基準が合致しているためだと思われます。

この4代目スイフトの特徴は、軽量化と高剛性を同時に両立させる新プラットフォーム「HEARTECT(ハーテクト)」の採用です。これと併せてドアなどの外装部品やシートなどの内装部品の軽量化も行い、3代目スイフトと比較して100キロをゆうに超える軽量化が実現されました。一般的なFFのグレードだけでなく、ハイブリッド車や4WD車も1トン未満に収まるほどの軽量さです。

この軽量化は燃料消費率にも好影響を及ぼし、非ハイブリッド車でも実燃費がリッターあたり約20キロ走り、財布にとても優しい車です。

デザインはコンパクトカーながらインパクトがあります。正面から見ると大開口フロントグリルが、側面にはボディーから張り出したフェンダー、そしてA/B/Cピラーすべてがブラックアウトされています。

近年流行している車の塗装・構造の「ブラックアウト」とは、黒い部分を「色」としてではなく「影」または「見えないもの」として表現する方法で、視覚効果を狙っています。特に、この4代目スイフトのようにA/B/Cすべてのピラーを黒くすると、ルーフが「浮かんでいる」ように見えます。これを「フローティングルーフ」と言います。

フローティングルーフは、スポーティーさ、カジュアルさ、未来的なものを表現しています。また、リアドアハンドルをブラックアウトしたCピラーの位置にすることで、2ドアクーペのように見える工夫が凝らされています。コンパクトカーがここまでの作り込みをするのを見ると、日本はヨーロッパ並みにコンパクトカーの完成度が高くなってきたと感じています。

番外編:「ワールドカーオブザイヤー」について

ワールドカーオブザイヤー(World Car of The Year:通称WCOTY)は、「カーオブザイヤー」としてはまだ歴史が浅く、‘04年に創設され第1回授賞は‘05年から行っています。選考委員は20ヶ国以上の国から約80人の国際的自動車ジャーナリストが務めます。選考の対象となる車は、当該年の1月1日時点で2つ以上の大陸にまたがる5ヶ国以上で販売されていることが条件です。

‘09年に組織名を「World Car Awards(ワールド・カー・アワーズ)」に変更しましたが、インターネットでのネーミングは「WCOTY」で検索できます。イヤーカーの他に各部門賞を設置しています。選考委員には10名弱の日本人も含まれています。選考委員の経歴や現職なども掲載されています。

ワールドワイドに販売される車のイヤーカーなのですから、とても名誉ある賞です。そんな名誉あるWCOTYを受賞した日本車を少しだけ紹介します。

①初代LS460(‘07年次・レクサス)

初代LS460(‘07年次・レクサス)
初代LS460(‘07年次・レクサス)出典:wikipedia

歴代WCOTYのイヤーカーで最初に日本車として選ばれたのがこのLS460です。日本ではそれまで「セルシオ」名で販売されていました。現在、日本でもセルシオというペット名は3代目で終了し、レクサスLS名で販売されています。ちなみに、「LS」は「Luxury Sedan(豪華なセダン)」を意味する英語です。

北米に上陸した‘90年代初頭、メルセデスベンツ・SクラスやBMW・7シリーズの寡占状態の中であっという間に市場を席捲したのが初代セルシオです。繊細な作り込みと耐久性・品質の高さ・静粛性は、さきに挙げた高級車を超えていると言われました。

LS460は5メートルを超える全長と1メートル90センチに迫る全幅を持つ堂々たる体躯のセダンです。そのため車重量も約2トンありますが、4600ccのV8エンジンは385ps(FR仕様)を発生し、この大柄なセダンをいとも簡単に走らせます。このスペックでこの当時の10・15モード燃費でリッター9.1キロというのはかなりすごい数字です。

このクラスの車に乗るエグゼクティブにとって、「環境性能」としての燃料消費率は非常に重要です。「環境を汚染してまでVIPカーには乗りたくない」という考えを持っている人達もたくさんいます。LS460はそうした意識を持つ人々に向けても訴求力を持つ車として支持されています。

②初代リーフ(‘11年次・日産)

初代リーフ(‘11年次・日産)
初代リーフ(‘11年次・日産)出典:wikipedia

充電した電気をバッテリーに蓄えることで車の走行と電装品の稼働を可能にする、二酸化炭素をや窒素酸化物などの排出物が全く無い次世代のクリーンカーです。日本を始め、アメリカやヨーロッパ、中国などにも投入される世界戦略車でもあります。ちなみに、リーフは第32回COTY、‘11年度の「ヨーロッパカーオブザイヤー」のイヤーカーに、そしてグッドデザイン賞・金賞を同時に受賞しています。

外観の特徴は、リアのハッチに沿うように配された縦長のコンビネーションランプと、大きく後部に張り出したリアバンパーです。とても個性的な後姿で、他の車と見間違えることはありません。

電気自動車で求められる性能は、充電時間の短縮化と航続距離の延長の2点に尽きます。出先で充電が必要になった時、受電時間が長いと、充電中は足止めをされてしまうのと、遠距離の移動に制約を受けてしまいます。

それに加えて、筆者は購入価格が求めやすいものになることを期待しています。せっかくの「ゼロ・エミッションカー」なのですから、たくさんの人に乗ってもらわないと、そのコンセプトが十分発揮されません。初代プリウスが発売された当初、販売価格の「215万円」は信じられないくらいの低価格だと思いました。

画期的な思想と開発費用を考えれば、倍の価格でもおかしくありません。しかし、プリウスをたくさんの人に乗ってもらうことで環境負荷について本気で取り組んでいるというトヨタの姿勢が見え、とても感心しました。結果、歴代のプリウスは広く一般のユーザーに受け入れたことは周知の事実です。

リーフの目指す高い思想・理想はよく理解できます。それを補助金を受けなくても予算300万以内で可能にできれば、より多くのユーザーに購入が可能になります。ぜひそうなるよう期待しています。

③ロードスター(‘16年次・マツダ)

ロードスター(‘16年次・マツダ)
ロードスター(‘16年次・マツダ)出典:wikipedia

‘89年に初代の発売を開始したマツダを代表するオープン2シーターで、現在ではワールドクラスのライトウェイトスポーツカーの代名詞になっています。初代の大成功を見た国内外の他の自動車メーカーもこの市場に追随・参戦し、活況を呈しました。

ロードスターの美点は、何と言っても「初代からのキープコンセプト」です。「4メートル内外の全長・車重量約1トン・FR・2人乗り・オープン・独立したトランクルーム・1500cc~2000cc」を30年にわたって守り続けています。

実は、新型をリリースするにあたって、これだけ多くのことを継承することは非常に難しいのです。新型の方が旧型より優れていることを表現(アピール)するために、車格や排気量を大きくすることはよくあることです。

しかし、これを続けてしまうと、当初のコンセプトやその車種に求められていた理想から乖離し、代を重ねるごとにユーザーやファンが離れてしまいます。そして、販売台数の伸び悩みを別の車種を投入することでカバーするということになるのですが、そうするとそれまでの車種の居場所がなくなってしまい、いずれ消滅する(絶版になる)ということがよく起きています。

歴代のロードスターは初代のコンセプトを守り続けながら、常に新味を取り入れ従来のファンに加えて新しいユーザーを取り込むことができている非常に稀なケースです。もちろん、マツダがこの車に対して相当の思い入れと開発努力があることは言うまでもありません。

外観やスペックをここで紹介するのは簡単ですが、ここまで読んでくださった皆さんには、ぜひ一度実物を見ていただきたいです。「ワールドクラスのライトウェイトスポーツカーとは、こういうものなのか!」という感動をぜひ味わってください。

3. 選考委員はあなた自身!あなたにとっての「カーオブザイヤー」は?

いかがでしたか?数ある「カーオブザイヤー」の中から、「日本カーオブザイヤー(COTY)」を主軸に、「RJCカーオブザイヤー」と「ワールドカーオブザイヤー(WCOTY)」の説明とイヤーカーを紹介してきました。

紙面の構成上、それぞれのカーオブザイヤーの各部門賞を紹介できなくて残念ですが、実はみなさんが思われている以上に日本車は優秀で、ここでは言及していませんがWCOTYの部門賞では日本車が多数選出されています。

日本車は世界各国から常に注目されています。今振り返ってみても、どのカーオブザイヤーも歴代イヤーカーは、選ばれるだけの理由を持っています。選考委員が違えど、見るべきところがあれば必ず誰かが評価してくれると筆者は思っています。

世界で戦える日本車を常日頃から見たり購入できる私達は非常に幸運です。と同時に、目を養っていく必要があります。ユーザーの必要とするものが自動車メーカーにフィードバックされれば、よりよい車づくりが促されるのです。

例えば、筆者かつての愛車であった100系マークⅡ・グランデ(2400ccディーゼル)は、世間では「アッパーミドルカー」という位置づけでしたが、後席のヘッドレストはシート上部が膨らんでいるだけで、前席のように可動式ではありませんでした。しかも、膨らんでいるのは2席分だけで、中央のシート形状はフラットでした。

つまりこれは、乗員定数が5人と謳っておきながら、実質4人分の乗車を前提に設計されたことになります。これは、アッパーミドルカーであろうとなかろうと手を抜いてはいけない部分です。もし5人乗車し、後席中央にも人が乗車した時、後部からの追突があればむち打ちになる可能性も十分あります。

これに対し自動車評論家や私達ユーザーがヘッドレストを乗員定数分用意することの大切さを訴えて、‘00を過ぎたあたりからほとんどの車種で採用されるようになりました。つまり、車の進化には、私たちユーザーが「選考委員」になったつもりでシビアな目線で評価することが必要です。

例えば、中古車を買おうと思った時、歴代のイヤーカーに試乗してみるというのも面白いです。なぜそれが選考委員に評価されたのか見えてくると思います。また、逆にみなさんが選考委員になったつもりで評価を与えてみましょう。

筆者は、たまに試乗会に出かけたり自身が新車や中古車を購入する時、必ず試乗し、同時にボタン・レバー類の操作をします。また、運転席以外の座席にも座ります。決して安くはない車を購入するわけですから、自分が選考委員になったつもりで厳しく見ます。ここで妥協すると、すぐに飽きてしまったり後悔することになってしまいます。

みなさんも自分なりに車に求めるもの・観点を持って選考委員になったつもりでの車選びをおすすめします。理想の車に出会えるまでの過程も含めて、わくわくする「車選び」をしませんか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です