平成から令和へ!自動車メーカーの平成30年史を振り返ろう。

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1. 平成は日本の自動車メーカーにとってどんな時代だったのか

みなさんにとっての「平成の時代」はどんなものでしたか?「平成」と言えば、故・小渕恵三さんが毛筆で書かれた新元号「平成」の台紙を掲げた場面を思い出されるのではないでしょうか?

筆者にとっては人生の多くを過ごした時代ですので、いろいろな社会の変化を目の当たりにしてきました。小さい頃から車が好きでしたので、いろいろな車をその当時から見てきましたし、そしてまた現在も見続けています。

車にとっても平成期はたくさんの変化があった時代でした。価格、装備品、システムなど車を構成するあらゆる要素が大きく変化しました。そして、新しい価値観のもと生まれた車種もあれば、逆に消えてしまった車種もあります。平成以前からあり、今でもなお愛されるロングセラーカーもあります。

平成の時代が始まったのは、いわゆる1986年年末から始まった「バブル景気」の中期です。その時、ほとんどの人がその後「失われた20年」を日本が迎えることなど予想していませんでした。

しかし、この「失われた20年」と言われる時代にもいろいろな変化や進化がありました。それは自動車メーカーの車づくりにも表れています。そうすることでユーザーの細かなニーズに応え続けてきた結果、平成元年時点に存在していた国産の自動車メーカーは1つも消えることなく残っています。

かつて自動車評論家などのモータージャーナリストや経済界からは、「国内の自動車メーカーはいずれ2~3社になるだろう」と言われていましたが、上記したように2020年2月現在で全社健在です。外国には自国資本の自動車メーカーがなくなってしまったところもあることを考えると、日本勢は非常に健闘していると言えます。

2. 平成になって車はどう変わった?

車格で言うと、全長はやや短くなり全幅はやや長くなりました。全長が短くなったのは、FF車が増えたこと、全長を長く取らなくても室内空間が確保できるようになったことなどが挙げられます。全幅が増したのは、主にデザイン性の向上のためと衝突安全時のスペースの確保のためです。

排気量で言うと、大排気量(3000cc)を超えるものはずいぶん少なくなりました。車格が大きそうに見えても、ほとんど2000cc未満に収まっているものが多いです。排気量が増すということは、たいてい維持費に出費がかさむことにつながります。自動車税の税額が大きくなりますし、エンジンの排気量とその重量は比例するのでおのずと車重量も増し、車検時の重量税の税額も上がります。

細かいことを言えば、大排気量の車の方が小排気量の車と比較して関連用品も含めて高額になります。また、車格と燃料消費率は基本的に反比例します。バブル経済が崩壊して以降は、ユーザーは身の丈に合った車選びをする傾向が強まり、自然に大排気量の車種やグレードは淘汰されていきました。

一言で言えば、国民の消費行動の違いは自家用車も含めて平成時代は昭和時代に比べ「実用本位」になった時代だと思います。

3. 平成の名車シリーズ・ベスト30

 平成は平成元年(1989年)~平成31年(2019年)でしたので、なるべく各年1台ずつ紹介できるようにしました。2019年は令和元年になりましたので、2018年の平成30年までで30台ということにしました。

場合によっては1年の中で複数の車を紹介することがあったり、そして本当はもっとたくさん紹介したいのですが、そうするといつまでも終われなくなってしまうためこれらの30台とさせていただくことをご了承ください。

①昭和61年(1986)1月~平成3年(’91)5月 2代目ソアラ【トヨタ】

①昭和61年(1986)1月~平成3年(’91)5月 2代目ソアラ【トヨタ】
①昭和61年(1986)1月~平成3年(’91)5月 2代目ソアラ【トヨタ】出典:トヨタ自動車株式会社

まさしくバブルまっただ中に発売された2代目ソアラは、当時のリッチな大学生のデートカーとして人気がありました。2L版と3L版があり、2L版の「GTツインターボ」のグレードが特に人気で、FRの走れる高級スポーツクーペとして名を馳せました。

高額であったのにもかかわらず(最も低価格のグレードでも当時で250万円近く、3000ccのエアサスペンション装備車では400万円をゆうに超えていました)、初代のスタイルを継承しつつ適度に角が取れた均整の取れたボディースタイルと、バブル期であったことが相まって販売は好調で、2代目の販売期間中に30万台以上売り上げました。

②昭和62年(’87)9月~平成4年(’92)3月 2代目CR-X【ホンダ】

②昭和62年(’87)9月~平成4年(’92)3月 2代目CR-X【ホンダ】
②昭和62年(’87)9月~平成4年(’92)3月 2代目CR-X【ホンダ】出典:wikipedia
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フロント周りのデザインだけ見ると同社のシビックとそう大差がないように見えますが、真横から見ると、リアハッチとテールランプが垂直に切り落とされたように見えるデザインが特徴的でした。2010年に発売された「CR-Z」もこの車のデザインを踏襲しています。

エンジンは3種類ありましたが、最上級グレードの「SiR」に搭載されていた「B16A」エンジンは、最大出力・最大トルクを7000回転以上で発生するというホンダが得意としている高回転型エンジンで、リッターあたり100psを発生するものでした。車重が1トンを切っていたため走りは非常に軽快でした。

③平成元年(’89)9月~平成10年(’98)1月 初代ロードスター【マツダ】

③平成元年(’89)9月~平成10年(’98)1月 初代ロードスター【マツダ】
③平成元年(’89)9月~平成10年(’98)1月 初代ロードスター【マツダ】出典:wikipedia
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当時は多チャンネル体制を敷いていたマツダの「ユーノス店」の第一弾として発売され、現在販売されているのは4代目です。発売当初から「ライトウェイトスポーツカー」というカテゴリーから外れず、パワーよりも運転することやオープンエアの楽しみを重視した車づくりが身上です。

マツダのライトウェイトスポーツカーの成功を見た国内外の自動車メーカーもこぞってこの市場に参入し、活況を呈することとなりました。今ではほとんど見かけることがなくなってしまったリトラクタブルヘッドライトが採用されていたこともこの車のデザイン上の特徴です。

独立したトランクルームを持っていたので、実用上の不便さは3人以上乗れないことくらいでした。初代のモデルは長く愛され、1998年1月まで販売されました。

④平成元年(’89)10月~平成6年(’94)10月 初代セルシオ【トヨタ】

④平成元年(’89)10月~平成6年(’94)10月 初代セルシオ
④平成元年(’89)10月~平成6年(’94)10月 初代セルシオ出典:トヨタ自動車株式会社

現在ではレクサスブランドの最高級車として君臨する「レクサスLS」のトヨタブランドでの車名です。全長が5メートル近く、全幅が1メートル80センチを超える堂々とした体躯に、4000ccV型8気筒エンジンを搭載したFRの大型高級セダンです。トヨタの新たなフラッグシップカーとして設計・製作されました。

今でこそほとんどの乗用車に標準装備されているABSやエアバッグですが、このセルシオでさえ運転席エアバッグこそ標準装備でしたが、ABSは上級グレードからしか標準装備になっていませんでしたし、助手席にはエアバッグは装備されていませんでした。このことが、それらの装備がいかに高額であったかがうかがえます。

発売当時からトヨタの技術の粋を集結して製作されたことが話題になっていて、海外の自動車メーカーもセルシオの出来栄えに舌を巻くほどでした。その高い作り込みの技術や厳しい品質管理は2006年9月からもレクサスブランドに受け継がれ、LSとして販売されています。

⑤平成2年(’90)3月~平成8年(’96)1月 セラ【トヨタ】

⑤平成2年(’90)3月~平成8年(’96)1月 セラ【トヨタ】
⑤平成2年(’90)3月~平成8年(’96)1月 セラ【トヨタ】出典:wikipedia
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1987年の第27回東京モーターショーに出展された「AXV-Ⅱ」を市販化した3ドアクーペモデルで、最大の特徴はルーフ一体型ドアガラスと、そのドアの開閉方式でした。

通称ガルウィングドア(正確にはバタフライドア)は通常、メルセデス・ベンツ「300SL」やランボルギーニ「カウンタック」のようなスーパーカーにしか装備されない形式のドアでしたが、日本の一般車でこの方式を採用したのはこのセラが初めてでした。

ドアを閉めていてもグラスルーフという構造上、車内は温室と同じ構造になってしまうため、販売期間中の最後の改良時にエアコンを大型化し、冷媒を変更しました。約6年間での販売台数は約1万6000台で商業的には不発だったものの、トヨタのイメージ向上と技術力が示された1台でした。

⑥平成2年(’90)5月~平成12年(’00)1月 初代エスティマ【トヨタ】

⑥平成2年(’90)5月~平成12年(’00)1月 初代エスティマ【トヨタ】
⑥平成2年(’90)5月~平成12年(’00)1月 初代エスティマ【トヨタ】出典:wikipedia
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ミニバンとしては他に類を見ないMR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)を実現させた稀有な1台です。卵形のボディースタイルが特徴のこの車は、2列目シートのフロア下に4気筒エンジンが搭載されています。ミニバンでありながら走行安定性やハンドリングを追求した意欲的な試みでした。

しかし、大柄なボディーを余裕をもって走ることができるだけのパワーに欠けていたこと、同クラスの2000ccミニバンなどのライバルが多数存在しエスティマよりも廉価であったことで販売は苦戦を強いられました。特に、床下スペースの問題からエンジンの多気筒化による出力向上がかなわなかったことが2代目以降、エンジンレイアウトの方向転換につながりました。

発売から約2年後の1992年1月からはボディーを縮小しエンジンラインナップにディーゼルも加えた5ナンバーサイズのエミーナ・ルシーダの2台(通称:子エスティマ)を投入すると、それらは大ヒットしました。

本家エスティマ(親エスティマ)は2代目以降も継続して生産・販売されることになりましたが、残念ながらこれらの姉妹車は2000年1月で生産を終了しています。

⑦平成2年(’90)9月~平成17年(’05)12月 初代NSX【ホンダ】

⑦平成2年(’90)9月~平成17年(’05)12月 初代NSX【ホンダ】
⑦平成2年(’90)9月~平成17年(’05)12月 初代NSX【ホンダ】出典:wikipedia

全幅1メートル81センチ、全高が1メートル17センチ(タイプRは1メートル16センチ)という「ロー&ワイド」の2シータークーペで、エンジンはミッドシップレイアウトでまさに日本を代表するスーパーカーです。量産車として初めてオールアルミモノコックボディーを始めとしエンジン、シャシー、足回りなどにアルミ合金を多用して大幅な軽量化を実現しました。

スポーツカーとしては長いリアオーバーハングは、マフラーをエンジンルームから遠ざけてルーム内の温度上昇を防ぎエンジン補機類の寿命を延ばすことと、空力性能のことを考慮し高速走行時の姿勢安定性を保つのが目的でしたが、結果的にこの手のスポーツカーとしては珍しく、ゴルフバッグが2つ搭載可能というトランクルームの広さを獲得しています。

⑧平成2年(’90)10月~平成12年(’00)9月 GTO【三菱】

⑧平成2年(’90)10月~平成12年(’00)9月 GTO【三菱】
⑧平成2年(’90)10月~平成12年(’00)9月 GTO【三菱】出典:wikipedia
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1989年の第28回東京モーターショーに「三菱・HSX」名で参考出品された後、翌90年10月に市販化された4座ファストバッククーペです。同時代のスポーツカーとしては非常に幅広で、1メートル84センチありました。車重両が1.6トンを超えていましたが、有り余るパワーと4WDで難なくこの大柄な車格を操ることができ、スーパーカーに恥じない走りを演じました。

その過大なパワーと引き換えに、実際の燃料消費率はリッターあたり約5キロで、税金も含めてその維持費はかなりの額になります。ガソリンはハイオク仕様でタンク容量は75リットルですので、燃料警告灯が点灯してから満タン給油すると、1万円札が飛んでいきます。今のハイブリッド車を始めとしたエコカーとは真逆の車です。

⑨平成3年(’91)9月~平成9年(’97)12月 アルシオーネSVX【スバル】

⑨平成3年(’91)9月~平成9年(’97)12月 アルシオーネSVX【スバル】
⑨平成3年(’91)9月~平成9年(’97)12月 アルシオーネSVX【スバル】出典:wikipedia
Tokumeigakarinoaoshima投稿者自身による作品, CC0, リンクによる

迷走・名走という言葉が似合うのは、この車をおいて他にはありません。自動車のデザイナーとしてすでに名を馳せていたジョルジェット・ジウジアーロ氏によるエクステリアデザインで当初はリトラクタブルヘッドライトになる予定でしたが、市販車としてデビューした時には固定式のものになっていました。

エンジンは水平対向6気筒3300ccDOHC、最高出力は240psで不等・可変トルク配分電子制御4WD、4WSなどの最新技術とあわせてGTカーとしての性格が強いものでした。前席・後席ともにガラスで囲まれる「グラスラウンドキャノピー」は、他の車種では先に紹介した「セラ」くらいでした。

バブル崩壊後であったこと、デザインが理解されにくかったこと、スバルが高級車市場ではほぼ無名だったこと、そしてかなり高額だったことで販売期間中の新車登録台数は約6000台でした。

⑩平成3年(’91)10月~平成15年(’03)4月 3代目RX-7【マツダ】

⑩平成3年(’91)10月~平成15年(’03)4月 3代目RX-7【マツダ】
⑩平成3年(’91)10月~平成15年(’03)4月 3代目RX-7【マツダ】出典:wikipedia
Mike Roberts from London, United Kingdom – IMG_2047, CC 表示-継承 2.0, リンクによる

当初は販売店名を冠していたので「アンフィニRX-7」という名称でしたが、後に(’97年10月~)この名称になりました。同社のユーノス・コスモが1996年に生産を終了して以降、2003年4月にRX-8が発売されるまで世界で唯一のロータリーエンジン搭載車となりました。

日本車離れしたボディーデザインとパワーが魅力のFR車で、現在でもたくさんの愛好者がいます。燃料消費率はさきに紹介したGTOやアルシオーネSVXと同様、非常にガス食いなのが玉に瑕(きず)です。

⑪平成4年(’92)10月~平成8年(’96)9月 7代目マークⅡ【トヨタ】

⑪平成4年(’92)10月~平成8年(’96)9月 7代目マークⅡ【トヨタ】
⑪平成4年(’92)10月~平成8年(’96)9月 7代目マークⅡ【トヨタ】出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

ハイソカー・ハイオーナーカー・アッパーミドルカー、つまりどの呼称でも「社会的地位・収入が平均より上」という意味合いで使われる言葉で、マークⅡはまさにそれを体現した車でした。

4ドア(セダン)型の車で、トヨタの車種でマークⅡよりも高額な車はセンチュリーやセルシオを除くと、実質クラウンしかありませんでした。「一億総中流」と言われていたこの当時の日本で、マークⅡを所有することは「成功者としての証」と言っても過言ではありませんでした。

マークⅡに加えて、より若い世代向けを意識したチェイサー、チェイサーとは逆にサッシュドアを採用し大人のセダンを演出したクレスタを「マークⅡ三兄弟」と呼び、トヨタのドル箱として長期間君臨しました。

⑫平成5年(’93)11月~平成10年(’98)10月 初代ワゴンR【スズキ】

⑫平成5年(’93)11月~平成10年(’98)10月 初代ワゴンR【スズキ】
⑫平成5年(’93)11月~平成10年(’98)10月 初代ワゴンR【スズキ】出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

現在、軽自動車のボディー形状の主流である「軽トールワゴン」の先駆で、現在は6代目が2017年2月から販売されています。軽自動車の全長の短さを補うため、アップライト気味に着座させレッグルームと荷室の広さを同時に確保し、上方の空間を大きく取ることで広々とした室内を実現しました。

開発コンセプトは「男性が乗れる軽」でしたが、無駄を省いた実用性の高さとそれまでの軽自動車にはなかった解放感は年齢や性別を問わず受け入れられ、ベストセラーカーとなりました。初代ワゴンRには運転性側ドアが1枚という変則モデルも存在しました。これも右側通行の日本での実用性を重視した結果で、スズキの着眼点の素晴らしさに驚かされました。

⑬平成6年(’94)1月~平成12年(’00)7月 ゼロワン【ミツオカ】

⑬平成6年(’94)1月~平成12年(’00)7月 ゼロワン【ミツオカ】
⑬平成6年(’94)1月~平成12年(’00)7月 ゼロワン【ミツオカ】出典:wikipedia
Twoget投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

ミツオカが国内10番目の自動車メーカーとして認可された記念すべき車です。ボディータイプはロングノーズ&ショートデッキのフルオープン2シーターで、イギリスのロータスカーズが生産・販売していた「ロータス・セブン」を彷彿とさせるスタイリングです。

エンジンはマツダ・ロードスターの1800ccのものを流用し、駆動方式はロードスターと同じくFRでした。2000年7月の運輸省の側面衝突試験に適合しなかったことで生産を終了することとなりましたが、その後もミツオカは精力的に独自のボディーデザインを手がけた車を輩出しつづけています。

⑭平成6年(’94)10月~平成11年(’99)12月 初代オデッセイ【ホンダ】

⑭平成6年(’94)10月~平成11年(’99)12月 初代オデッセイ【ホンダ】
⑭平成6年(’94)10月~平成11年(’99)12月 初代オデッセイ【ホンダ】出典:wikipedia

ワンボックスカーの居住空間とセダンの乗り心地を両立した、今で言う異なる2つのボディースタイルの「クロスオーバー」形式のミニバンです。現在は5代目で2013年11月から販売されています。

この当時、セダンとクーペに主力車種が多かったホンダに「RV(レクリエーショナルビークル)」の新車種をもたらしただけでなく、業績を回復させるほどまでヒットした名車です。

生産ラインの関係上、一般的なワンボックスカーが採用していたスライドドア形式にできなかったことが、かえってユーザーに新鮮に映りヒットしたというエピソードがあります。

⑮平成7年(’95)12月~平成14年(’02)12月 3代目ハイラックスサーフ【トヨタ】

⑮平成7年(’95)12月~平成14年(’02)12月 3代目ハイラックスサーフ【トヨタ】
⑮平成7年(’95)12月~平成14年(’02)12月 3代目ハイラックスサーフ【トヨタ】出典:wikipedia
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この当時、「RV」というカテゴリーから「SUV(スポーツユーティリティービークル)」という新しいカテゴリーを派生させた先駆けと言ってよい車です。もともとは全グレードがパートタイム式4WDでしたが、1998年8月に行われたマイナーチェンジ時にFR仕様を新たにラインナップに加えました。

この手のSUVを買い求める人すべてが四輪駆動車としての性能を望んでいるわけではなく、外観や内装のしつらえが気に入って買い求めるユーザーをも意識して求めやすい価格設定にして販売するのは、市場の動向やユーザーの感覚をいち早くつかんで商品に反映させることができるトヨタならではの戦略です。

この次の4代目は2009年7月を最後に「ランドクルーザープラド」に統合される形で販売を終了しました。筆者としては4代目の発売時にラインナップされていたその当時のトヨタの最新式3000cc直列4気筒ディーゼルエンジン(1KD-FTV)がその後の日本のクリーンディーゼル市場を形成していくことを期待していたので、非常に残念でした。

⑯平成8年(’96)5月~平成13年(’01)4月 初代ステップワゴン【ホンダ】

⑯平成8年(’96)5月~平成13年(’01)4月 初代ステップワゴン【ホンダ】
⑯平成8年(’96)5月~平成13年(’01)4月 初代ステップワゴン【ホンダ】出典:wikipedia

この当時のワンボックス型乗用車の多くが、運転席下にエンジンを搭載するキャブオーバー型でしたが、初代ステップワゴンはボンネットのあるFF車として製作されました。プロペラシャフトがないことで低床化できたこと、シンプルなスタイル、そして他車のワンボックスミニバンと比較して低価格であったことが大ヒットの理由でした。

この手のワンボックスカーは大人数が乗れることを最重要視しますが、初代ステップワゴンには廉価版に「N」というグレードが存在し、5人乗りで荷室重視というつくりになっていました。筆者としては、同時に6人以上乗る機会がない方にとってはこのようなグレードの存在はどのワンボックスミニバンにあってよいと思います。ちなみに現在は5代目で2015年4月から販売されています。

⑰平成9年(’97)12月~平成15年(’03)9月 初代プリウス【トヨタ】

⑰平成9年(’97)12月~平成15年(’03)9月 初代プリウス【トヨタ】
⑰平成9年(’97)12月~平成15年(’03)9月 初代プリウス【トヨタ】出典:トヨタ自動車株式会社

世界で初めて量産化・市販化されたエポックメイキングなハイブリッド車で、現行モデルは2015年12月から4代目が販売されています。プリウスで採用されている駆動ユニットは「THS(Toyota Hybrid System)」で、シリーズパラレル式ハイブリッドと呼ばれる方式です。

シリーズパラレル式ハイブリッドとは、エンジンを駆動力と発電との両方に利用する方式です。発電した電力はモーターの駆動力や蓄電に回ります。また、「回生ブレーキ」と言って減速時の運動エネルギーを蓄電するシステムが搭載され、エンジンで発生させたエネルギーを無駄なく利用する機構も備えられました。

現在ではプリウスだけでなく、その派生車種や他車種にもたくさんハイブリッドシステムが使用されています。海外でも高く評価され、ハリウッドスターのレオナルド・ディカプリオ氏がアカデミー賞授賞式の際、乗り付けた車がプリウスであったことはあまりにも有名です。

⑱平成10年(’98)6月~平成15年(’03)5月 3代目レガシーツーリングワゴン【スバル】

⑱平成10年(’98)6月~平成15年(’03)5月 3代目レガシーツーリングワゴン【スバル】
⑱平成10年(’98)6月~平成15年(’03)5月 3代目レガシーツーリングワゴン【スバル】出典:wikipedia
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今ではかなり車種が少なくなってしまった「ステーションワゴン」というボディー形状の車種ですが、2000年前後は本当にたくさんの車種がありました。そのステーションワゴンブームの火付け役がレガシーツーリングワゴンです。

この車が人気があったのにはいくつか理由があります。一部のグレードを除いて5ナンバーで1.5トンに収まること、エンジンやトランスミッションの種類が複数あり用途に合わせた選択ができたこと、ハイスペックグレードを持っていたことです。

ですから、経済的に乗りたい人、ステーションワゴンらしく使いたい人、走りを楽しみたい人にとってこの車種1台で需要を満たすことができました。セダンタイプは現行モデルが2014年10月から販売されていますが、残念ながらステーションワゴンは5代目モデル(~2014年6月)をもって生産を終了しています。

⑲平成11年(’99)1月~平成14年(’02)8月 5代目スカイラインGT-R【日産】

⑲平成11年(’99)1月~平成14年(’02)8月 5代目スカイラインGT-R【日産】
⑲平成11年(’99)1月~平成14年(’02)8月 5代目スカイラインGT-R【日産】出典:wikipedia
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トランクルームの上部に取り付けられたリアウィング、245/40R18というロープロファイルタイヤ、アルミホイールのスポークからのぞくブレンボキャリパーがすでにただ者ではない雰囲気を十分醸し出しています。日産とそのスポーツイメージのけん引役として現在は2007年12月からスカイライン名が外れ、「GT-R」名で販売されています。

搭載されているエンジンはRB26DETT(水冷直列6気筒DOHC24バルブインタークーラーツインターボ)で、最高出力は当時の規制値いっぱいの280ps、最大トルクは40.0kg-mに達します。走りのすごさはここでは割愛しますが、資産価値としての一面もあり海外での「V specⅡ Nür」グレードの取引価格は1000万円を下らないと言われています。

⑳平成11年(’99)1月~平成17年(’05)2月 初代ヴィッツ【トヨタ】

⑳平成11年(’99)1月~平成17年(’05)2月 初代ヴィッツ【トヨタ】
⑳平成11年(’99)1月~平成17年(’05)2月 初代ヴィッツ【トヨタ】出典:wikipedia
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スターレットの後継車種としてデビューした当時、あらゆる車種からの乗り換えがあるほどのブームで一躍その名を知られることとなりました。丸みを帯びたわずか3メートル61センチのボディーに4人の大人と必要最小限の荷室を備えた「コンパクトカー」に世間は驚嘆しました。

この車の出現によって、小型車を積極的に選ぶユーザーが増え「コンパクトカー」という普通車のカテゴリーができました。さすがに後席に常に2人以上乗車すればレッグルームが狭いと感じますが、それでもこの車がコンパクトカー市場に及ぼした影響は甚大で、他メーカーもこぞって参入し現在では各自動車メーカーからこのクラスの車種が発売されるようになりました。

現在は、以前から国際車としてすでに海外では知られる名称である「ヤリス」に名称変更され、2020年2月より初代ヴィッツから数えて4代目となるモデルが販売を開始しています。

㉑平成13年(’01)6月~平成19年(’07)6月 初代フィット【ホンダ】

㉑平成13年(’01)6月~平成19年(’07)6月 初代フィット【ホンダ】
㉑平成13年(’01)6月~平成19年(’07)6月 初代フィット【ホンダ】出典:wikipedia

同社の販売していた「ロゴ」の後継車種としてデビューしました。一足先にデビューしたトヨタのコンパクトカー・ヴィッツと比較すると全長が20センチ以上長い分、居住性や荷室が広いのが人気の理由でした。

現在では一般的になったトランスミッションであるCVTのみの設定だったこと、低床低重心・実用スペースの確保を可能とした「センタータンクレイアウト」という燃料タンクの搭載方法が特徴でした。

走行性能、低燃料消費率、立体駐車場に入れられる全高、豊富なボディーカラーバリエーションなどの要素がすべてつまったこの1台は、老若男女のユーザーに受け入れられ、2002年には日本国内における年間販売台数で33年間首位であったトヨタ・カローラを上回りトップの座に躍り出ました。

現在は(2020年3月上旬)先月2月にデビューしたばかりの4代目が販売されています。

㉒平成13年(’01)8月~平成17年(’05)12月 3代目プリメーラワゴン【日産】

㉒平成13年(’01)8月~平成17年(’05)12月 3代目プリメーラワゴン【日産】
㉒平成13年(’01)8月~平成17年(’05)12月 3代目プリメーラワゴン【日産】出典:wikipedia
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おおよそ日本車とは思えないデザインが特徴のステーションワゴンで、テールランプ周りの曲面の造形が美しいのが特徴です。3本のガソリンエンジンがラインナップされていましたが、その中でもひときわ個性が光る「SR20VE」エンジンを搭載した「20V」のグレードを紹介します。

ほとんど知られていないグレードで、自然吸気でリッターあたり100ps以上、5000回転以上で最大トルク21.0kg-mを発生する日産を代表するSRエンジンの改良型で、なんとタコメーターは10000回転までありました。それに加えて6速マニュアルが搭載されていましたので、外見からは想像もつかない走りを見せました。

ハイスペックな走行性能はたいてい大量の燃料と引き換えになることが常ですが、この車は非常に低燃料消費率で市街地走行と高速走行を半々にした場合、リッターあたり12~13キロ走ることができ、財布にとても優しい車です。

デザインが理解されなかったこと、そしてマニアックな「20V」のグレードは2年に満たない販売期間のため台数としては不振でした。余談ですが、筆者の愛車の1台でした。

㉓平成15年(’03)1月~平成17年(’05)8月 ツイン【スズキ】

㉓平成15年(’03)1月~平成17年(’05)8月 ツイン【スズキ】
㉓平成15年(’03)1月~平成17年(’05)8月 ツイン【スズキ】出典:スズキ株式会社

まさに「ミニマムカー」と言ってもよい軽自動車の許容規格を大幅に下回る軽自動車で、2人乗車と少しの荷物を積むことを前提に製作されました。車体後部の開閉はリアガラスハッチで行い、荷物の出し入れをします。

ほとんどの軽自動車が与えられた規格内(全長3.4メートル未満、全幅1.48メートル未満、全高2メートル未満)いっぱいを使い切ってデザインしますが、この車は軽自動車の使われ方を考慮した上であえてこのサイズにしたことが革命的でした。

残念ながらこの一代限りで生産を終えてしまいましたが、軽自動車の規格や用途、適正サイズについて考えさせられた1台でした。

㉔平成19年(’07)10月~平成27年(’15)8月 10代目ランサーエボリューション【三菱】

㉔平成19年(’07)10月~平成27年(’15)8月 10代目ランサーエボリューション【三菱】
㉔平成19年(’07)10月~平成27年(’15)8月 10代目ランサーエボリューション【三菱】出典:wikipedia
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ボンネットのエアインテーク、トランク上部のリアウィング、245/40R18の超低偏平率タイヤとBBS製アルミホイール、どこをとってもスーパースポーツセダンの雰囲気が漂っています。通称「ランエボ」は、車好きな人なら知らない人がいないくらいの知名度の高さで、峠道でレースを行なうことを主題にしたコミックスにも登場するほどの人気があります。

直列4気筒DOHC16バルブインタークーラーターボエンジンは、2008年10月に行われた最初のマイナーチェンジ時に、日本での普通車の従来の出力規制値(280ps)を上回る300ps、最大トルクは一般的な自然吸気エンジンの4500ccクラスに相当する43.0kg-mを発生します。

市街地でこの車の性能をフルに発揮することはできないものの、車好きがあこがれる車として長く三菱のスポーツイメージをけん引してきましたが、2015年8月の「エボリューションファイナルエディション」のグレードモデルを最後に生産終了となりました。

㉕平成19年(’07)12月~平成25年(’13)10月 2代目タント【ダイハツ】

㉕平成19年(’07)12月~平成25年(’13)10月 2代目タント【ダイハツ】
㉕平成19年(’07)12月~平成25年(’13)10月 2代目タント【ダイハツ】出典:wikipedia
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何と言ってもこの車が大きく注目されたのは、2代目へのモデルチェンジから採用されている「センター(B)ピラーレス」です。この機能を助手席ドアが担うことでボディー強度を保っています。助手席ドアと後部スライドドアを同時に開けるととても開放的で、人や大きな荷物の出入りがとても容易です。

ボディー形状は軽トールワゴンなので上方の空間は十分で、ホイールベースは普通車のコンパクトカー並みに約2.5メートルあり、軽自動車とは思えない居住性を確保しています。最小回転半径が4.2メートルと小さく小回りがきき、またトランスミッションはATやCVTなので運転が苦手な人にとっても操作を楽に行うことができます。

㉖平成22年(’10)4月~ アイ・ミーブ【三菱】

㉖平成22年(’10)4月~ アイ・ミーブ【三菱】
㉖平成22年(’10)4月~ アイ・ミーブ【三菱】出典:三菱自動車工業株式会社

同社から発売されている軽自動車「アイ」をベースにした電気自動車で、大容量の駆動用リチウムイオンバッテリーを床下に、パワーユニットを後部の荷室下に配置することで、ベース車両と同じ居住空間と荷室容積を両立させたことがこの車の美点です。

航続走行距離を短くした分手軽に求めやすいグレードを後に追加したり、軽自動車では初めて省電力型ヒートポンプエアコンを搭載したりなどの改良を加えながら現在に至ります。

なお、2018年4月モデル以降は全長を拡大して3メートル48センチとなったため登録車(普通車)のカテゴリーに入りました。ベース車両となったアイはすでに生産を終了していますが、アイミーブは電気自動車専用車両として継続して改善を行なうことになっています。

㉗平成22年(’10)12月~平成29年(’17)10月 初代リーフ【日産】

㉗平成22年(’10)12月~平成29年(’17)10月 初代リーフ【日産】
㉗平成22年(’10)12月~平成29年(’17)10月 初代リーフ【日産】出典:日産自動車株式会社
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さきに挙げたアイ・ミーブとの大きな違いは、この車が電気自動車専用車両として設計・デザインされたことです。外観の特徴として、リアハッチの左右に沿うように長いコンビネーションランプが配されていることが挙げられます。走っている後姿を見れば、すぐにリーフのそれと分かります。

現行モデルは2017年10月から販売されている2代目で、初代から飛躍的に航続距離を延ばしています。初代は満充電時のJC08モード走行で200キロでしたが、この2代目は400キロと倍になりました。アクセルペダルだけで発進・加減速・停止まで行うことができる「e-Pedal」は画期的な機構です。今後のさらなる電気自動車としての発展が期待されます。

㉘平成23年(’11)12月~平成29年(’17)9月 初代N-BOX【ホンダ】

㉘平成23年(’11)12月~平成29年(’17)9月 初代N-BOX【ホンダ】
㉘平成23年(’11)12月~平成29年(’17)9月 初代N-BOX【ホンダ】出典:本田技研工業株式会社

軽自動車をファミリーカーとして使用することを考え市販化にこぎつけたホンダの軽スーパートールワゴンです。2メートル50センチを超えるホイールベースは、「ミニマムエンジンルーム」を実現し室内長を前方へ7センチ圧縮したことが奏功しています。

軽自動車ながら4人の乗員が乗ることを前提に製作されているので、ドリンクホルダーや収納スペースもきちんと確保されています。地味なことですが、これを軽自動車で真面目に作り込んだことで多くのユーザーから支持を得ています。

また、オーソドックスなファミリーカーであると同時に遊び心も忘れず、派生車種「N-BOX SLASH」は、ルーフカラーとボディーカラーを別の塗色にしたツートーンカラー仕様にしたり、ルーフを10センチ下げリアに向かってルーフラインを下げ、リアドアのウインドーラインをせり上げることで2ドアクーペのように見えるデザインを施しています。

㉙平成26年(’14)12月~ MIRAI【トヨタ】

㉙平成26年(’14)12月~ MIRAI【トヨタ】
㉙平成26年(’14)12月~ MIRAI【トヨタ】出典:トヨタ自動車株式会社

量産車として世界初のセダン型燃料電池自動車です。フル充填に要する時間は約3分とガスチャージと同等の時間で、航続走行距離はJC08燃費モードで650キロです。排出するのは水だけという、電気自動車と並び究極のエコカーの1つです。高圧水素タンクは炭素繊維や樹脂などで構成される3層構造になっています。

水素と空気の化学反応で電気を作り、その電気でモーターを駆動させて走行します。この車に乗るとエンジン自動車が音や振動を発生させているのがよく分かります。「卵が先か、鶏が先か」という例え話と一緒で、「燃料電池車が先か、水素スタンドが先か」という問題と、かなりの高額であること(ベースグレードで700数十万)がクリアできれば、より一般的になるでしょう。

㉚平成28年(’16)11月~ ノート e-POWER【日産】

㉚平成28年(’16)11月~ ノート e-POWER【日産】
㉚平成28年(’16)11月~ ノート e-POWER【日産】出典:日産自動車株式会社

日産のハイブリッドカーで、「シリーズ式ハイブリッド」と言われるシステムを搭載しています。シリーズ式ハイブリッドシステムとは、エンジンの出力は発電機の稼働のためだけに行なわれ、発電した電気でモーターを駆動したり蓄電するシステムです。発電のためだけにエンジンを使う方が結果的に効率の良い燃料消費率になるという考えのもとに製作されました。

市街地走行・高速走行のどちらでも安定した低燃料消費率を誇り、特に「エコモード」時の走行が消費率を抑えられます。筆者の愛車の1台である「マツダ・デミオXD1.5」と比較してもまったく引けを取りません。デミオの高速走行時の低燃料消費率は素晴らしいものの、市街地走行やストップ&ゴーが多い都市近郊の走行時は、ノートe-POWERに軍配が上がります。

カタログ値だけでは実燃費は分かりません。もし車を購入する時に燃料消費率を考えるならば、普段の使用パターンを考えて購入するのがよいです。いずれにしても、ノートe-POWERは通常の使用でリッターあたり約20キロ~25キロの数値が期待できる優れものです。

番外編:平成3年(’91)12月~平成14年(’02)12月 2代目ビッグホーン【いすゞ】

番外編:平成3年(’91)12月~平成14年(’02)12月 2代目ビッグホーン【いすゞ】
番外編:平成3年(’91)12月~平成14年(’02)12月 2代目ビッグホーン【いすゞ】出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

かつて乗用車部門を持っていたいすゞのフラッグシップカーで、本格的なクロスカントリーSUVです。1998年10月時のマイナーチェンジ時に新たに加えられたディーゼルエンジンは後に日本でも市民権を得ることとなった「クリーンディーゼル」の前身で、DOHC化、コモンレール式燃料噴射装置、ターボチャージャーを盛り込んだ、当時では最新式の素晴らしいエンジンでした。

この後、日本でのクリーンディーゼルブームが起こるきっかけになったのは、2008年9月に発売された「日産T31エクストレイル 20GT」ですので、10年も前にいすゞはすでにビッグホーンを始め同社の複数のSUVに搭載していたのですから、非常に驚きです。

そんな最新のディーゼルエンジン技術を持っていたいすゞでしたが、商用車などの業務用車に経営資源を集中させるべく、2002年9月をもって日本国内での乗用車部門から完全に撤退しました。筆者としては、またいつかいすゞが乗用車部門を復活させ、他自動車メーカーにはない視点での車づくりを再開してほしいと願っています。

4. 今後の自動車はどうなる?-自動車と人との関係について

非常に長くなってしまいましたが、まずはここまで読んでくださったみなさんに感謝いたします。

平成は30年間ありましたので、その間生産・販売されていた特筆すべき車をどのような観点で、そして何台掲載しようか非常に迷いました。車に対して求めるものは人それぞれですから、かっこよさで選ぶか低燃料消費率で選ぶかスペックで選ぶかなど、いろいろな観点で車を考察することが可能だからです。

結果、過去に読んだニュースや自動車関連の雑誌を思い出しつつ、独断と偏見で30台+1台を選ばせていただきました。

現在でも平成初期の車が走っているのを見ると、そのオーナーさんの愛車へのこだわりを感じるのと同時に、それだけ長く愛される車づくりをした自動車メーカーに対して尊敬の念を禁じ得ません。それだけ平成年間は「人に愛される車づくりをしてきた」という証左です。

これからの自動車の技術は、「完全な自動運転」に向かっていくでしょう。その時、車は人にとって「家電品」と同列になっているかもしれません。筆者は自分でハンドルを握り、クラッチを切り、ギアチェンジするのが好きという、まさに現代にあって「アナクロニズム」の典型ですが、あと数年でやってくるかもしれない完全な自動運転という時代の流れに逆らうことはできません。

ですから、これから自動車メーカーに求められるのは、自動運転技術の確立と同時に「愛着の持てる車づくり」ではないかと思います。それがあればユーザーにとっての購入理由になりますし、いずれはそのことが自動車メーカーの利益になるはずです。

運転する楽しさ以外の楽しみを車が持つこと-これが令和になってからの車づくりの「キーワード」になると思います。筆者であれば、目的地までの「家族だんらんの場」としての「車」であることを期待しています。みなさんは自動運転が達成されたら、車に何を求めますか?

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