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今でも異彩を放つ、懐かしのいすゞの名車7選を振り返ろう!

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1. 商用車・業務用車製造メーカのいすゞ

みなさんは「いすゞ」という自動車メーカーをご存知ですか?「いすゞーのトラックー」というCMでおなじみの、日本を代表するトラック・バスなどの商用車・業務用車を製造する自動車メーカーです。トヨタ自動車や日産自動車とともに、1930年代から本格的に自動車の量産を行ってきた1世紀以上の歴史を持つ会社で、自動車のほか船舶や産業用ディーゼルエンジン(発電機、ポンプ、建設機械など)を得意分野としています。おそらく現在30代の方にとってのいすゞ自動車は、これまでに述べてきたような自動車メーカーとして認知されていると思います。

実はかつては乗用車部門も持っていたいすゞ

いすゞはさきほど述べたように1930年代から乗用車の製造を手がけていましたが、多少のヒット作はあったものの、長期的に見ると不振でした。そのため、経営資源を商用車やSUVの製造販売などに集約するため、1993年に小型乗用車の自社開発・製造を中止しました。さらに2002年、さらなる経営資源の集中をはかるため日本国内でのSUV3車種(ビッグホーン・ミュー・ウィザード)の製造販売、そして小型自動車1車種(アスカ)、ミニバン1車種(フィリー)のOEM供給(アスカはホンダのアコード、フィリーは日産のエルグランド)を受けることを中止し、同年9月30日をもって日本国内での乗用車部門から完全に撤退したのです。

今になって、時代がいすゞに追いついた

市場経済的な観点からすると、乗用車部門からの撤退を余儀なくされたいすゞでしたが、実はかなり本格的なエンジン製造メーカーでもあり、特にディーゼルエンジンの設計・製造技術には目を見張るものがあります。現在では「クリーンディーゼル」という言葉が市民権を得て久しいですが、すでに1990年代後半にはその原型を開発したばかりか、実際に搭載したものを市販しています。元東京都知事の石原慎太郎さんがディーゼル車の排ガスをクリーンにしなければいけないという2000年代初頭の発言の何年も前に、すでに先を見越し開発・販売にこぎつけたことは先見の明があったからにほかなりません。

また、エンジン技術だけでなく、車のボディースタイルや内装の作りも他の自動車メーカーとは一線を画すものが多く、いすゞならではのものがたくさんありました。現在ではいすゞ社製の車は中古でしか手に入れることはできませんが、今見ても古びていないデザインには目を引かれます。

そんな外見も中身も濃い、魅力ある懐かしのいすゞ車を7台選んでみました。40代以上の方は、「あぁ!昔乗ってた!」とか、「昔、よく見かけたなぁ」と思われるものばかりを厳選しました。若い世代の方であれば、すべての車種がとても新鮮に映ると思います。

2. 懐かしのいすゞ車7選

①117クーペ

いすゞ 117クーペ出典:ウロッカ!

ボディーデザインの曲面が美しい1970年代を代表する日本の傑作車の1つで、1968年~1981年まで発売されていた後輪駆動の4座のクーペです。初代のエンジンのスペックは、排気量1600ccでDOHCエンジンを搭載し、圧縮比10.3、最大出は120ps、最大トルクは14.5kg-mと、現代の車と比較しても全く引けを取らないものでした。イタリア人デザイナー・ジョルジェット=ジウジアーロ氏によるデザインで、初期のものは月産50台という少なさで、これはほぼハンドメイドによることが理由でした。1970年には日本初の電子制御燃料噴射装置を装備。エンジンの種類も1800ccと2000ccのガソリン、2200ccのディーゼルとラインナップを増やしていきました。1977年には丸目4灯式から角型4灯式になり、スタイルのイメージがそれまでのものとは異なるものとなりました。発売時には4速MTでしたが、後に5速MT、3速ATが追加されました。車両価格は当時としてはかなりの高額にもかかわらず(モデル末期の上級モデルは200万円をゆうに超えていました)、発売期間の最終年まで第一線で人気があった稀有な車です。

②ピアッツァ

いすゞ ピアッツァ
いすゞ ピアッツァ出典:ウロッカ!

さきに紹介した117クーペの後継モデルで、1981年~1991年まで発売されていた初代は後輪駆動、1991~1994年まで発売されて2代目は前輪駆動の4座ハッチバッククーペです。初期のモデルは1900ccDOHCと2000ccSOHCの2種類で、それぞれ最大出力と最大トルクは135ps、17.0kg-m、120ps、16.5kg-mでした。この頃の車は現代の車と比較して非常に軽量なため、多少現代の水準と比較して数字上の最大出力や最大トルクが低くても、パワーウェイトレシオ(1ps当たり何キロの負荷を負うのかという数値で、車重量÷最大出力《ps》で求められます)で言うと10を少し下回るくらいなので、動力性能的には十分と言えます。それでも、その当時はエンジンパワー競争が行われていたため、さらに最大出力が高いエンジンモデルを搭載したモデルも発売されました。トランスミッションは初代・2代目ともに5速MTと4速ATがあり、居住空間も117クーペと同様、4人の大人が座れるようになっています。運転席周りのあらゆる操作系の配置や構造にも非常に凝っていて、ハンドルから手を離さずにエアコンやハザードスウィッチなどが操作できる当時としては画期的なものでした。

初代のデザインはさきに紹介した117クーペを手がけたジウジアーロ氏が担当しました。117クーペの後継車種といいながらも、それとはまったく異なるデザインで、ライトは角目2灯式でボンネット周りは角ばっていてリア部は少し丸みを帯びています。そのデザイン性の高さが評価され、1987年には通商産業省(現・経済産業省)グッドデザイン賞(輸送機器部門)大賞を受賞しました。

2代目のデザインは当時いすゞのデザイナーだった中村史郎氏が担当し、初代のフロントデザインとは全く違いヘッドランプは可動式カバーのある丸目4灯式、エアダムスポイラー(前面からの空気の流れをせき止め、車体下部に潜り込むのを抑止するためのエアロパーツの1種で、車を浮き上がらせグリップ力を低減するのを防ぐ)が目を引くデザインです。エンジンは1800ccのDOHC、最大出力150ps、最大トルクは17.5kg-mを発生します。初代の販売累計台数が約11万3500台だったのに対し、二代目は販売期間が短かったものの約2000台で、初代の方が人気がありました。

③ジェミニ

いすゞ ジェミニ出典:wikipedia
この画像は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「Isuzu Gemini」を素材として二次利用しています。

ジェミニは1974年(初代)~1993年(2代)に発売された車で(1993年以降はホンダの「ドマーニ」のOEM供給を受け2000年まで発売されましたが、ここでは割愛します)、初代は1973年まで生産されていたいすゞの「ベレット」の後継モデルという位置づけであることを明確にするために「ベレット・ジェミニ」という名称でした。当時の技術提携先であったGM(ゼネラルモーターズ)のグローバル構想から生まれた世界戦略車で、スタイリングを担当したのはGMの傘下だったドイツのオペルで、ヨーロッパでは「オペルカデット」名で親しまれていたこの車をいすゞ流にアレンジしてできたのがこのジェミニです。初代のスペックは1600ccのSOHCエンジンで、最大出力100ps、最大トルク14.0kg-mを発生します。その当時のカローラやサニーと比較すると、排気量・車格が一回り大きくカデットの基本設計をベースにしたこと、加えて実績と信頼のあるいすゞ製エンジンが搭載されていたことで消費者に受け入れられ、間もなくいすゞの主力車種の1台になりました。

初代の駆動方式はFR(後輪駆動)で、エンジンラインナップも発売時から拡充され1800ccのガソリン仕様が2本、ディーゼル仕様が1本追加されました。ボディタイプは2ドアスポーツクーペと4ドアセダンの2種類があり、トランスミッションも4速MTだけであったものが、後に3速ATと5速MTが加えられ、利便性が増しました。1982年にはディーゼル車に世界初の電子制御式ターボチャージャー搭載したモデルが73psを発生するなど、80年代を代表するディーゼル車と言われました。この頃からすでにいすゞのディーゼルエンジン技術は世界レベルの域にありました。

FF(前輪駆動)になって発売された2代目ジェミニは、「街の遊撃手」というキャッチコピーを掲げ、パリの街中をまるで車がダンスをするかのようにスタント走行するCMは当時かなり話題になりました。後期モデルは足回りをイギリスのスポーツカーメーカーであるロータスがチューニングした「ハンドリング・バイ・ロータス」や、ターボ車にはドイツのチューニングメーカーであるイムルシャーの名を冠した「イムルシャー」、「イムルシャーR」を発売し、スポーツ走行を実現するモデルとして人気を博しました。これらのモデルは3代目でも継承されました。

④ミュー

いすゞ ミュー
いすゞ ミュー(mu)出典:ウロッカ!

発売された1989年当初は乗員定数2名、トランスミッションは5速MTのみ、ボディスタイルはチョロQを大きくしたようなデザインと、これだけ聞くとまるで2シーターのスポーツカーのような車を想像してしまいますが、実際は2~3ドアのショートホイールベースのラダーフレーム構造を持つSUVです。「ラダーフレーム構造」とは、次項で紹介する「ウィザード」でも説明しますが、車が発明されて以来採用されている最も基本的なフレーム構造で、文字通りはしごの形をしているフレームです。ボディが衝突などの破損をした場合でも、車が走行するのに最低限必要な部分を守ることができるという点で、本格的な(クロスカントリー)SUVの多くの車種が採用しています。

さて、話は戻りますがミューは見た目と同様かなり変わったコンセプトの車で、車体後半部がオープンで乗用登録になる3ナンバー規格はFRP製(強化プラスチック)のトノカバー仕様になっている「ハードカバー」、そして貨物登録になる1ナンバー規格は折りたたみが可能な幌付き仕様の「ソフトカバー」の2種類のラインナップがありました。しかしこの特異なコンセプトが若者に受けて大ヒットしました。乗員定数はハードカバーが2名、ソフトカバーが2/4名でした。その後、1990年に車体後半の荷室部分に鉄製のハードトップを装備し4名乗車としたモデルを追加すると同時に、2800ccの直噴ディーゼル(最大出力は110ps)を新たにエンジンラインナップに加えました。ちなみに、それまでのガソリンエンジン仕様は2600ccで最大出力は120psの出力でした。その後、マイナーチェンジや改良がくわえられ、4速ATの追加、排ガス対策のため従来のガソリンエンジンの搭載を停止し、ディーゼルエンジンを3100ccの別設計のものに変更するなどしました。

1998年に行われたフルモデルチェンジでは、初代のデザインをマイルドにしたものになりました。また、特筆すべきこととして初代のマイナーチェンジの3100ccのディーゼルエンジンではない、新開発の4気筒コモンレール式DOHCディーゼルエンジンを同社のSUVであるビッグホーンや姉妹車種のウィザードにも同時に搭載しました。なお、このタイミングで「5枚ドアのミュー」という区分になっていた「ミューウィザード」を、「ウィザード」として分離・独立させました。

⑤ウィザード

いすゞ ウィザード出典:wikipedia
この画像は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「いすゞ・ウィザード」を素材として二次利用しています。

「ウィザード」として独立した車種となる以前は「ミューウィザード」という名称で、同社のSUV車である「ミュー」の姉妹車という区分でしたが、1998年6月に1つの車種として発売されました。エンジンラインナップは2種類で、3200ccV6ツインカムエンジンの215ps、3000ccコモンレール式ディーゼルターボエンジンの145psがあり、トランスミッションは5速MTと4速ATが用意されました。ガソリンエンジンのみ2WDの設定があり、ディーゼル車は全てのグレードに走行中でも駆動輪の切り替えが可能なパートタイム式4WDが標準装備されています。この3000ccコモンレール式ディーゼルターボは後の「クリーンディーゼル」の原形で、すでに20年以上前にいすゞは開発し、市販しているところにいすゞのディーゼルエンジン技術の高さがうかがえます。アメリカのマーケットを意識し本格的なラダーフレーム構造(エンジンやサスペンションなどの、車が走行するにあたり必要最低限の要素を頑丈なフレーム部分に搭載していることで、多少ボディが変形するようなことがあっても走行に支障が出ません)を持つ本格的なクロスカントリーSUVとして、アメリカでは「ロデオ」名で販売されていました。2001年5月発売モデルからは、車両が水没した際にも一定時間パワーウィンドーの開閉が可能な機能が全グレードに搭載されました。

⑥ビークロス

いすゞ ビークロス
いすゞ ビークロス出典:ウロッカ!

ビークロスは1997年に発売されたクロスオーバーSUVで、1993年の第30回東京モーターショーに出品されたコンセプトカー(プロトタイプ)をほぼその原型を保ったまま市販にこぎつけられた珍しい車で、さきほど紹介した同社の初代「ミュー」をより前衛的に解釈したボディデザインを体現したモデルです。前面には異形ヘッドランプ、後部にはスペアタイヤ内臓バックドア、そして黒色ポリプロピレンで造形された車体下部は、見る人によってはボディデザインのどこをとっても異端で珍妙に映るかもしれない独特なものがあります。この極めて個性的なフォルムは大いに注目を浴び、発売された1997年の第18回日本カーオブザイヤーの特別賞を受賞しています。このデザインはイギリスのカーデザイナーであるサイモン-コックスによるものです。パワートレインはV6・3500ccのガソリンエンジンで、最大馬力215ps、最大トルク29.0kg-mを発生するユニットで、組み合わされるトランスミッションも4速ATのみの設定でした。いすゞのSUVとしては珍しく、ディーゼルエンジンのラインナップがなかったことは意外でした。ボディタイプは2ドアのみで、ベースとなったのはビッグホーンのショートホイールベース版です。ビッグホーンよりもシティーユースであることを想定し、オンロード向けのサスペンションセッティングが施されています。車名の由来は、Vehicle(乗り物)とVision(未来像)とCross(交差)を合わせた造語で、オンロード・オフロード、日常・非日常のクロスオーバー(在来の種々の要素を組み合わせて別に新たなものを創作すること)を表しています。ただのファニーカー(おもしろ車)で終わらず、スペシャルティカーとSUVという、それまでにはなかった「クロスオーバー」を実現したかなりの意欲作でした。

⑦ビッグホーン

いすゞ ビッグホーン
いすゞ ビッグホーン出典:ウロッカ!

いすゞ製SUVのフラッグシップであり、同社のSUVでは最も長い歴史を持っていますが、「ロデオビッグホーン」名でデビューした1981年当初は貨物登録(4ナンバー)のみで一般的なユーザーに対しての訴求力に欠け、国内市場では販売が伸び悩んだ時期が長く続いたため、後発のトヨタ・ハイラックスサーフ、日産・テラノ、三菱・パジェロなどがRVブームに乗ることができたのに対し、後塵を拝することになりました。初代からショートホイールベース版とロングホイールベース版が用意され、ボディタイプはソフトトップとメタルトップの2種類があり、それぞれを組み合わせて4通りありました。乗員定数はショートが4人、ロングが5人です。バックドアは当時としては珍しい7対3分割の観音開きになっています。発売当初はガソリンエンジンとディーゼルエンジンが各1本ずつ用意されましたが、車重量に比して非力だったため、その後ディーゼルエンジンのターボチャージャー化がなされたり大排気量のディーゼルエンジンを他車種から流用したりしました。ガソリンエンジンも追加され、パワー不足がある程度解消しました。トランスミッションも4速MTしか用意されなかったものが、後に5速MTが、そしてモデル末期には4速ATが追加されました。

2代目は1991年~2002年まで生産され、初代と同様にショート(発売当初はなく、翌1993年に復活)とロングのボディタイプが用意され、ショートの乗員定数は4人、ロングは5人と7人乗り仕様のものとがあります。大きく違うのはすべて3ナンバー規格になり、バンボディはラインナップから消えたことです。エンジンラインナップはガソリン3200ccのV6・200psと同3500ccのV6・230ps、ディーゼル(インタークーラーターボ)3100cc・125ps、そしてクリーンディーゼルの前身である3000cc(コモンレール式インタークーラーターボ)直列4気筒・160psです。トランスミッションは4速ATと5速MTが用意されました。ボディスタイルは初代の角ばったものからエッジに丸みをつけソフィスティケートされたものになっています。奇をてらわない、誰にでも受け入れられるスタイルになりました。

1995年のビッグマイナーチェンジの際には、パートタイム4WDとしての走行中に2WDと4WDの切り替えを可能とする「シフトオンザフライシステム」や、電子制御による前後輪のトルク配分をコントロールを可能にした「トルクオンデマンド(TOD)」を搭載するグレードも登場しました。その後の1998年時のビッグマイナーチェンジを経て2代目モデルは本格的な4WDのSUVとしての地位を確立しました。2002年の乗用車部門からの完全撤退により新車販売はなくなったものの、現在でも優秀なクロスカントリー車という評価と人気を得ています。しかし、生産終了時から時間がかなり経過しているため、中古車や部品の入手が困難になりつつあります。

番外編:いすゞのトラック「エルフ」

いすゞ エルフ
いすゞ エルフ出典:ウロッカ!

日本のキャブオーバートラックの代名詞で、荷台のバリエーションによってさまざま車種が存在しています。1959年に初代が発売されて以来、60年の歴史を数えるいすゞの主力車種で、日本の物流・運搬などの業務用車、商用車のけん引役として活躍してきました。現在は6代目で2006年から発売されています。エンジンラインナップはクリーンディーゼルとそれをベースにしたハイブリッド車、CNG(天然ガス)車と複数本あり、車格によって使い分けられています。環境への配慮もおこたらず、2006年からはアイドリングストップ機能を標準装備、DPD(触媒を用いる排気クリーン装置)や尿素SCRシステムを導入し、NOxやPMの除去にも努めています。また、盗難が多いこの種の業務用トラックとして、2006年に国産で初めてイモビライザーを全車標準装備としました。

3. 記憶に残る名車を輩出したいすゞ

いかがでしたか?どの車も40代以上の方にはとても懐かしく思われたことと思います。もしかしたら、ここで紹介した車を今も現役で乗っておられる方もいらっしゃるかもしれません。僭越ながら、ぜひ大切になさって下さい。40代までの若い世代の方々は、インターネットでしかお目にかかれないか、ほとんど知らない車ばかりだったかもしれませんが、世界に名だたるいすゞにはかつて乗用車部門があり、素晴らしい車づくりをしていたということを記憶していただければ幸いです。

個人的には、いすゞが乗用車部門から撤退せざるを得なかったのは、決して技術力がなかったからだとは思いません。何度も紹介してきましたが、1998年に販売されたディーゼルエンジンは、その後登場した「クリーンディーゼル」をほぼ完成させたものであり、その時点でいすゞのレベルと同水準のディーゼルエンジンを開発できていたのは、日産以外ありませんでした。

他の自動車メーカーとは着眼点が違う、独特な車づくりがユーザーに理解してもらいにくかったことと、バブル経済の終焉が主な原因だと思います。しかし、マツダを見れば復活できる可能性があるのは周知の事実です。マツダもGM傘下時代、自社で自動車を自由に作れなかった厳しい時代がありましたが、後にGMがマツダ株を売却したことで「自社開発不可」の足かせが外れ、人材は不足していたものの「スカイアクティブエンジン」と称する画期的なエンジンをガソリン版とディーゼル版の両方を開発して市販化にこぎつけたことは皆さんもすでにご存知かと思います。ですから、ユーザーに対して自社開発製品の「どこがどのようにすごいのか」、「どのようなメリットがあるのか」というのをもっと理解してもらっていれば、きっといすゞも乗用車部門を細々とかもしれませんが、継続できたのではないでしょうか?

いすゞが乗用車部門から撤退してから20年近く経とうとしている現在、車の役割は大きく変わろうとしています。そんな時代だからこそ、常に革新的で独創的だったいすゞが再度乗用車部門に参入し、新たな車社会に一石を投じるメーカーとして復活してくれれば、と願ってやみません。

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