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日産が土壇場まで追い詰められた今こそ考える、日産『失敗車』の知られざる歴史。

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1. 「技術の日産」は今や昔の話なのか?

みなさんは「日産」というと、どんな自動車メーカーだと思いますか?近年ではEV(電気自動車)の「リーフ」や、世界初の量産型シリーズハイブリッド車の「ノートe-POWER」などを生産・販売している自動車メーカーであることはかなり知られていると思います。

日産は半世紀以上前から、海外ので行われたラリーに参戦し優勝を勝ち取ったり、総合品質評価に関する世界最高ランクの賞であるデミング賞を業界初で成し得るなど、伝統的に高い技術力を持っていました。そのため、「旗は日の丸、車はダットサン(日産製の自動車)」、医師の往診用に重宝されたため「医者のダットサン」、そしてそれらを総称した「技術の日産」として名を馳せました。

しかし、販売面ではマーケティングや販促活動に優れるトヨタにはあと一歩及ばず、1970年代には肉薄していた販売シェアは、‘80年代に入るとその差は開く一方になってしまいました。

加えて、バブル崩壊の影響で高価格で収益性の高い高級車の販売が減少したことやヒット作が出なかったこと、‘80年代の設備投資などが後を引き多額の有利子負債を抱えて経営危機に陥ってしまいました。

‘99年にフランスの自動車メーカー・ルノーと資本提携を結び、さらに‘16年には三菱自動車の発行済み株式の34%を所得し筆頭株主となり、現在ではルノー・日産・三菱アライアンスの中核を担っています。

シリーズパラレル式ハイブリッド(スプリット式ハイブリッド)で世界最初の量産車を生産・販売したトヨタとの技術力の差があることは否めませんが、先に紹介したリーフ・ノートe-POWER、フーガやスカイラインクーペに搭載されている4WS(四輪操舵)システムなどの他にも、日産には注目すべき技術がまだあります。

そんな日産がかつて生産・販売した車で、時代を先読みしすぎたり市場に理解してもらえなかったりなどして「一代限りで終わった車」を9台紹介します。他の自動車メーカーにはない日産の「独自性」に注目しながらご覧ください。

2. 一代限りで終わった日産車9台はこちら!

筆者が本格的に車に興味を持ち始めた頃、日産は「パイクカー」を多数製造・販売していました。デザイン的には手堅く無難にまとまっているトヨタと比べて遊び心があり、ユニークなデザインのものが今でも記憶に残っています。

日産はフルラインメーカーなのですから、数車種はこのような車種も一部のマニアやおしゃれに乗りたいユーザーのために作ってほしいというのが筆者の希望です。

では、平成期から一代で生産を終了してしまった9台を紹介します。きっとみなさんの記憶の片隅にあると思いますよ!

①エスカルゴ(‘89年1月~‘90年12月)

エスカルゴ(‘89年1月~‘90年12月)
エスカルゴ(‘89年1月~‘90年12月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

2年間の期間限定で生産・販売された、同社のパルサーのバンのプラットフォームをベースとしたパイクカーです。湾曲したAピラーがBピラー頂点まで高く弧を描き、Bピラーから後端までなだらかに弧を描いた後、後端でほぼ垂直に面で切り落とされたデザインが特徴です。

車名はフランス語でカタツムリを表す「Escargot(エスカルゴ)」と、スペイン語で貨物を表す「Cargo(カルゴ)」を組み合わせた造語です。その名の通り車体を横から見ると、カタツムリの殻のように見えるボディは非常に目を引き、生花店や食品のデリバリーのための商用車として非常に人気がありました。

同社が企画したパイクカーシリーズ、Be-1(ビーワン)、パオ、フィガロの中で唯一の商用貨物車です。エスカルゴとパオはBe-1やフィガロとは違い台数限定とはせず、期間限定としたので、期間中に予約をすればもれなく購入することができました。

現在の日本ではこのような「フルゴネットタイプ(ヨーロッパでは歴史のあるボディー形状で、車の前半部は市販車の形状をしていて、後半部を荷室のための専用設計としている車)」の商用車はなくなってしまいましたが、見ると思わず笑みがこぼれてしまうようなこんな車が少しあってもよいのではないでしょうか?

②180SX(‘89年5月~‘99年1月)

180SX(‘89年5月~‘99年1月)
180SX(‘89年5月~‘99年1月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

前年(‘88年)5月に販売を開始していたS13シルビア(5代目)の姉妹車で、「ワンエイティーエスエックス」と読みます。シルビアと同じく、FRの2ドアクーペスタイルのスポーツスペシャリティーカーです。ちなみに、180SXの北米輸出版が240SX(トゥーフォーティ―エスエックス)です。

姉妹車であるシルビアとの大きな違いは、180SXはリトラクタブルヘッドライトであったこと、トランクの使用はリアハッチの開閉で行っていた点です。姉妹車ながらそれぞれ独自の特徴を持ち、どちらにもファンが存在した貴重な車です。

姉妹車である5代目シルビアが‘93年10月にフルモデルチェンジして6代目となりましたが、非常に人気や販売が低迷し、5代目シルビアや180SXにファンが集中し、中古市場での価格が高騰したというエピソードがあります。その影響もあってか、180SXは6代目シルビアに変わり日産のスポーツカー市場の貴重な受け皿となり、この一代で10年近い販売期間がありました。

平成初期には180SXだけでなく、ホンダ・プレリュード、マツダ・RX-7などが採用していたリトラクタブルヘッドライトですが、近年は採用車種がなくなってしまいました。これは、人との接触や衝突時に引っかかるものや衝撃を与えるものを極力なくすという思想からです。

そのため、今後発売される車はリトラクタブルヘッドライトが採用されることはまずないと思われます。180SXはライト形状だけでなくボディースタイル、走りも秀逸なため、現在でも中古市場では高値で取引されています。

③インフィニティQ45(‘89年11月~‘97年9月)

インフィニティQ45(‘89年11月~‘97年9月)
インフィニティQ45(‘89年11月~‘97年9月)出典:wikipedia
Tokumeigakarinoaoshima投稿者自身による作品, CC0, リンクによる

トヨタが設立した北米マーケットを意識した高級ブランド「レクサス」に対し、日産が立ちあげたのが「インフィニティ」です。そのフラッグシップモデルであったのがこのQ45です。5メートル10センチ近い全長と、1メートル80センチをゆうに超える全幅を持つかなり大柄なFRの4ドア高級セダンです。

セルシオと同様、「和」を感じさせるデザインを「木目調」で表現するのではなく、「漆塗りのインストルメントパネル」で表現するという異色で斬新なコンセプトが売りでした(このデザインはオプション設定)。また、「ショーファードリブン(運転手付き高級車)」としての使用を想定していたセルシオと異なり、「ドライバーズカー」としての性能を奢(おご)られたこともインフィニティQ45の特徴の1つです。

走行性能と乗り心地を同時にかなえる「マルチリンク式・油圧式アクティブサスペンション」を持ち、最大出力は国内規制値いっぱいの280psを発生しました。これは、北米にもたくさんファンがいた同社の「フェアレディーZ」の走りをかつて楽しんだ世代に、Q45でも味わってほしいという理由があったからでした。

2代目以降は同社の「シーマ」に統合される形で消滅してしまいましたが、一部のファンからは不評であった「グリルレスデザイン」をもっと突き詰めて、Q45独自のデザインとして発展させていれば、と思っています。

④ADMAXワゴン(‘92年6月~‘99年6月)

ADMAXワゴン(‘92年6月~‘99年6月)
ADMAXワゴン(‘92年6月~‘99年6月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

‘90年1月から販売されている7代目サニーのコンポーネンツを流用している同社のスモールステーションワゴン「ADワゴン」の派生車種で、フルゴネットボディ形状をしています。リアドアは観音開きになっています。

日本では現在、このようなボディー形状の車はほとんど見かけませんが、フランスの自動車メーカー・ルノーの「カングー」は、フルゴネット形状の車種として非常によく知られた存在です。カングーは‘97年にデビューしましたが、このADMAXワゴンはそれよりも約5年も早くデビューしていました。

さて、ここでタイトルにもあった「NV250」について少しお話しします。NV250は日産の欧州戦略車として昨年(‘19年)5月に、ルノー・日産・三菱アライアンスの最新の成果を搭載してデビューしました。ビジネスユーザー向けのコンパクトバンとして、ルノー・カングーのOEMモデルで販売されています。

筆者は、NV250が荷物運搬用の商用車としてだけではなく、タクシーとしても活躍してくれたらと思います。日本でだと、日産・クルー(後の項で説明します)、トヨタ・クラウン・コンフォート、プリウスなどが代表的なタクシー業務用車ですが、イギリスでは「ロンドンタクシー」のようにステーションワゴン風トールワゴンがタクシーとして供されていることを考えても、日本でもNV250のようなタクシーがあってもよいのではないでしょうか?

日本のタクシーの車体色はほとんどが黒か白ですが、NV250を原色で塗装したタクシー仕様車などがあったら面白いです。日本ではタクシーを始めとする業務用車は、いかにも「業務専用」という趣が強いので、NV250のようなちょっと背の高いおしゃれでポップなものが走っているだけで、街の風景に彩を与えられると思います。

話は戻りますが、ADMAXワゴンは荷物の搭載能力は高かったので、リアドアを付けるなどの工夫があればもう少し一般的になっていた可能性があります。そう考えれば、それを実現したのがNV250ですので、日本でも販売すれば意外と需要はあるかもしれません。

⑤クルー(自家用:‘94年1月~‘02年6月、業務用:‘93年7月~‘09年8月)

クルー(自家用:‘94年1月~‘02年6月、業務用:‘93年7月~‘09年8月)
クルー(自家用:‘94年1月~‘02年6月、業務用:‘93年7月~‘09年8月)出典:wikipedia
Kuha455405投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

もともとはタクシー専用車両として流用されていた5代目ローレルと6代目ブルーバードの後継車種としてデビューしましたが、サッシュドア・垂直気味のピラー形状・独立したトランクルーム・気をてらわないオーソドックスなエクステリアデザインを望むユーザー向けに、自家用車両としても販売されました。

自家用には2000cc・6気筒のガソリンエンジンと、同じく2800cc・6気筒のディーゼルエンジンがありました。少しマニアックな話になりますが、この2800ccディーゼルエンジンは、同世代の車種では他に「セドリック」、「グロリア」、「ローレル」などや、ターボ化したものを「サファリ」が搭載していました。

実はこの6気筒2800ccのディーゼルエンジン「RD28」は、その先代機種である「LD28」とともに「日産エンジンミュージアム」に交代で交互に展示されています。

日産エンジンミュージアムは、横浜市神奈川区にある日産の施設で、‘03年4月に開館しました。日産が開発した多種多様なエンジンを展示する博物館です。この建物は1934年に建てられ、‘68年に本社が銀座に移転するまでは本社として機能していたところです。常時28基のエンジンと、その搭載車を展示する企画を行っています。

日産のルーツである「7型」エンジン、R34(10代目)スカイラインGT-R専用エンジン「RB26DETT」、2代目ムラーノ(欧州版)に搭載されたクリーンディーゼルエンジン「YD25DDTi」など、エンジンミュージアムには日産の創業期から現在に至るまでのエンジンの歴史・系譜を見ることができます。

話をもとに戻します。クルーは日産らしい実直な車で、居住性が高くトランクルームも大容量でした。日産には実用性とデザイン性の高さが同居した「初代ティアナ」のような傑作もあります。飽きのこない若い人でも乗りたくなるようなセダンづくりを日産に期待しています。

余談ですが、クルーはタクシーとしてだけではなく、パトカーや教習車としての需要もありました。

⑥ラシーン(‘94年12月~‘00年8月)

ラシーン(‘94年12月~‘00年8月)
ラシーン(‘94年12月~‘00年8月)出典:wikipedia

‘93年の第30回東京モーターショーで参考出品された試作車が非常に好評だったため、細部をリデザインし市販化にこぎつけました。7代目サニー(‘90年1月~‘94年1月)の4WDシャシーをベースにした、現在で言う「クロスオーバーSUV」の先駆けとなる5ドアショートワゴンです。

本格的なクロスカントリー車ではないものの、全グレードがフルタイム4WDで、日常走行には十分な性能を持っていました。角ばったエクステリアのデザインと、ポップなボディーカラーが特徴で、手ごろな大きさと実用性の高さに加えて、アニメの主人公「ドラえもん」がCMやカタログで起用されるなどして非常に人気がありました。

現在でもその人気は衰えず、ラシーン専門の中古車店があるだけでなく、海外でも高く評価されています。販売終了から20年を経た現在でも高値で取引される稀有な1台です。

⑦リバティ(‘98年11月~‘04年12月)

リバティ(‘98年11月~‘04年12月)
リバティ(‘98年11月~‘04年12月)出典:wikipedia

外観はその当時、すでに販売されていたトヨタ・初代イプサム(‘96年5月~)に似ていますが、こちらはイプサムとは違いリアドアがスライド式になっている5ドアミニバンです。すべてのグレードが3列目シートを備える7人乗りで、最前列から乗員が2-3-2となっています。

パワートレインやサスペンションを同年8月にデビューしたステーションワゴン・2代目アベニールのものを流用しています。‘01年次のマイナーチェンジ時にデビュー時の名称「プレーリーリバティ」から「リバティ」に名称変更したと同時に、ターボエンジンを搭載した「アクシス」グレードを廃し、新たに開発した自然吸気エンジンを搭載した「ライダー」グレードを設定しました。

ライダーとは、日産の子会社である「オーテックジャパン」が日産の製造するベース車両を架装化・カスタム化したグレードの1つで、ライダーの他に「ボレロ」、「アクシス」、「NISMO(ニスモ)」などがあります。

ライダーの外観的特徴は、ベース車両のフロントをビレットグリル化(メッキ塗装されたフィンを等間隔に並べたもので、オーテックジャパンのものは横向き)し、日産のエンブレムを付けていないことです。また、スポーティーな外観にするため、エアロパーツも装備されます。

ライダーはその外観だけでなく、走りも高出力にするためベース車両に搭載されているエンジンをターボ化したり、専用の別エンジンを搭載することもあります。また、ボディー剛性の向上を図ったり、サスペンションのセッティングを硬めに設定するなどしています。

ちなみに、現在ライダー仕様がある車種は3台で、「デイズルークス・ライダー」、「エルグランド・ライダー」、「NV350キャラバン・ライダー」です。

リバティはライダーの他にも、期間限定でアウトドアブランドのコールマンとのコラボ企画「コールマンバージョン」モデルや、ウェルキャブ(福祉車両)仕様の「オーテックドライブギア」など多様なグレード展開をしました。

⑧ティーダラティオ(‘04年9月~‘12年8月)

ティーダラティオ(‘04年9月~‘12年8月)
ティーダラティオ(‘04年9月~‘12年8月)出典:wikipedia

日産が40年近く製造・販売をしていたサニーの実質的な後継車種で、5ドアハッチバックのティーダ(以降、ハッチバックの方をティーダ、セダンの方をラティオと呼びます)とほぼ同時期に発売されました。高級感のあるインテリアと全高を高く取った居住性の高さ、VDA容積(20センチ×10センチ×5センチの箱いくつ分の容積があるかという容量計測法)450リッターを超えるトランクルームを持つ実用的な4ドアセダンです。

デビュー時には1500ccのガソリンエンジン1本だったものを、翌‘05年に1800ccのガソリンエンジンを新たに加えたり、‘08年にはそれまでの4速ATとCVTのトランスミッションに加えて、新たに1800ccにスポーティーな走りが可能な6速MTのグレードの追加をしました。

これは筆者の私見ですが、ヴィッツから始まる「コンパクトカーブーム」以降、独立したトランクルームを持つラティオのようなセダンタイプの車種が減り、リアハッチを持つハッチバックタイプの車が増えたように感じています。実際、ティーダに関しても、ハッチバックタイプのティーダの方がラティオよりも販売は好調でした。

これは日産だけではなく他の自動車メーカーにも言えることですが、海外では「バジェットカー(低予算車)」と呼ばれる1000cc~1500ccあたりの排気量を持つセダンタイプの車は、価格が低廉であることに加えて実用性が高くとても人気がありますが、こと日本に関しては販売は低調な傾向にあります。

また、日産の車種ラインナップの構成上、ティーダとラティオには1800ccのエンジンは不要ではなかったのかと思います。特に、同時期に販売されていた同社の「ブルーバード・シルフィー」とラティオは同クラスになってしまい、バッティングしてしまいます。

また、同社の1500ccクラスのハッチバックである「ノート」との住み分けができず、結果的に自社内にハッチバックのティーダがライバルになってしまいました。これでは、ティーダにもラティオにも自社内に同排気量・同クラスのライバルがいることになってしまいます。

あくまでもティーダとラティオは1500cc以下に軸足を置いていれば、もしくは1500ccクラスにセダンのラティオと、ハッチバックをティーダかノートのどちらか
1車種の構成にすれば、別な展開があったかもしれません。

また、ラティオは新しい車名でデビューしたのですから、思い切って20代の若者を強く意識したデザインでもよかったのではないでしょうか?デビュー当時から購買層が高いと、サニーがたどった同じ轍を踏んでしまう可能性が大きくなってしまうと思います。

⑨スカイライン・クロスオーバー(‘09年7月~‘16年6月)

スカイライン・クロスオーバー(‘09年7月~‘16年6月)
スカイライン・クロスオーバー(‘09年7月~‘16年6月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

スカイライン名を冠するステーションワゴンタイプの車種としてはR31(7代目)スカイライン以来20年ぶりの復活ですが、実質的には‘07年6月に生産・販売を終了した2代目ステージアの後継車という位置づけだと筆者は考えています。

車格は4635×1800×1575(単位はミリメートル)となっていて、全幅は広いものの見た目は5ナンバーサイズ枠に近いですが、3700ccの「VQ37VHR」エンジンが搭載され、出力330psを発生します。車重量は見た目のわりに重く、約1.7トンありますが、200psでも十分余力をもって走らせることができますから、「オーバースペック」といっても過言ではありません。

もともと日本でのデビュー前年、北米での日産プレミアムブランド「インフィニティ」で「EX37」としてすでに販売されていたものを、日本でスカイライン名を冠するクロスオーバーSUVとして発売されました。

走ればスカイライン名に恥じない力強くかつ重厚な乗り心地で、インテリアも高級感に満ちています。そして、日産が車名に「クロスオーバー」という現在流行しているスタイルを取り入れたことから分かるように、比較的若い世代のユーザーに対しても訴求していたのだと思います。

しかし、そんな日産のこの車に対する期待とは裏腹に販売は低調でした。これは筆者の管見ですが、最廉価グレードでも約450万(‘14年7月時のモデル)と非常に高額だったこと、そして「スカイライン」という車名が若年層のユーザーには響かなかったことが挙げられます。

現在の車選びの視点・観点は、「高級(高額)でなくてもいいから、実用的でちょっとおしゃれ」が主流を占めています。そして、「ネームバリューよりも実利」を取る傾向にあります。もしこれがスカイライン名を敢えて使わず、2000cc~2500ccの排気量で300万を少し割り込むくらいの価格設定であれば、結果は違ったものになったかもしれません。

番外編:プレジデントJS(‘92年2月~‘02年8月)

プレジデントJS(‘92年2月~‘02年8月)
プレジデントJS(‘92年2月~‘02年8月)出典:wikipedia
Kuha455405投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

かつての日産のフラッグシップカーで、後席重視の「プレジデント」に対して個人ユーザー用に設計されたのがこのプレジデントJSです。プレジデントより15センチ全長が短いですが、それでも5メートルをゆうに超える全長を持つFRの大型高級4ドアセダンです。

V8・4500ccのエンジンは2トン弱あるこの大柄なボディーでも軽々と走らせます。さきに紹介したインフィニティQ45は「グリスレス」でしたが、こちらはラジエーターグリルを持つ専用フロントマスクを持っています。

プレジデントは英語で、「大統領」、「社長」、「頭取」など、組織で頂点に立つ地位にある人を指します。国家の政治・経済を動かすような人達が乗るにふさわしい車であることをコンセプトとしていました。

45年近い歴史のあったプレジデントでしたが、このJSは一代限りで、そして本家プレジデントはこの後販売された4代目で生産を終了しました(‘10年8月)。現在はプレジデントに変わりシーマが日産のフラッグシップカーとなっていますが、この名を冠するに恥じない、そしてトヨタ・センチュリーに対抗しうる存在として復活してくれることを期待しています。

3. 日産に期待されること

一代で終わった日産車を番外編を加え10台紹介してきましたが、いかがでしたか?特に車好きな方でなくとも、ほとんどの方は目にしたことがあると思います。例の経営危機以降、車種の整理・統合を進めてきた結果、現在抱える車種はそれ以前と比べてだいぶ少なくなりました。平成初期にはあれほどあったパイクカーも、現在は発売していません。

そのパイクカーに一番近い存在がNV250であると筆者は考えています。今の時代、日本でパイクカーを発売してもどれくらい市場が反応するかは不透明です。しかし、NV250は見た目が日本車にないヨーロッパ風のたたずまいを持ち、かついやみがないのが特徴です。NV250のようなビジネスユースカーは、日本の他の自動車メーカーには現在ありません。

筆者が日産に期待することは、「他社に真似のできない車づくり」です。エスカルゴのようなお茶目な遊び心を見せる一方、‘90年代後半にはいすゞと並んで画期的なクリーンディーゼルの原型「YDエンジン」の開発(セレナやプレサージュなどに搭載されていました)、電気自動車の代名詞「リーフ」、そして市販車初のシリーズハイブリッド車「ノートe-POWER」など、「技術の日産」はなお健在です。

しかし、日産はせっかくの技術を商品としての「車」に魅力的に反映させられないという「伝統」があります。現在はその武骨で愚直な車づくりだけでは生き残れません。車づくりにかける思いと実力を、ルノー・日産・三菱アライアンスの中で十分発揮しつつ、自社にはないものを吸収・発展させることができれば、きっと活路は開けると確信しています。

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