「一括査定」×「プロにお任せ」=『ウロッカ!』

【トヨタ失敗列伝】トヨタですら1代で廃止に追い込まれた『迷車』たちを厳選してご紹介!

toyota-one-generation-only-cars

1. 一代限りで終わる車にはどんな傾向・共通項がある?アメリカのトヨタとの関係は?

タイトルにもあったように、トヨタ(正式名称はトヨタ自動車株式売社)は車を持たない・乗らない方にも知られている一大自動車メーカーであり、海外にもアメリカ・カナダがある北米、ヨーロッパを始め、世界各地に製造事業体と多大な従業員数を抱えるグローバル企業です。

そんなトヨタにはたくさんの車種があります。中には、アメリカ・トヨタ産のものやGM(ゼネラルモーターズ)産、イギリス産のものもあります。新車や中古・アウトレット店で購入する時に、外装を見てそれと分かるものはほとんどありません。

しかし、車の内外をよく見てみると、トヨタのエンブレムがついているけれど、日本製のトヨタ車とは何となく違っていることに気づきませんか?そのうまく表現できないところが、「日本車のアイデンティティー」との違いです。

実は、アメリカなど海外で生産されたトヨタ車には、残念ながら一代で終わってしまったものが結構あります。それらとともに、(本国)日本で生産・販売された一代限りで終わってしまった車も詳しく紹介していきます。

みなさんも、なぜその車種が一代限りで終わってしまったのか考えてみませんか?読み終わる頃には、何かヒントをつかんでいるかもしれませんよ!

2. 一代限りで終わった残念なトヨタ車30台の紹介

一代で終わってしまったとはいえ、トヨタとしては手を抜いたとか本気で売る気がなかったということではありません。一代で終わるにしても、よかった点は評価して後継車に何かしらのかたちで生かされています。

‘90年代初頭から同一車名での販売が一代限りであったものに限定して筆者の印象に残っている車種30台を紹介します。車種によっては現在でも中古・アウトレットで購入可能なものもあります。ガレージなど屋根付きの環境下で駐車・保存されたものは、塗装が日に焼けていなかったり、下回りが錆びていなかったりする程度のよいものがあるので、興味がある方は在庫を確認してみてもよいのではないでしょうか?

なお、参考までに販売された期間も表記しておきます。

①セラ(1990年3月~‘96年1月)

セラ(1990年3月~‘96年1月)
セラ(1990年3月~‘96年1月)出典:wikipedia
Thomas doerfer投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

‘87年(昭和62年)開催の第27回東京モーターショーに展示された「AXV-Ⅱ」の市販化モデルです。同社のコンパクトカー・スターレット(P70型)をベースに作られた3ドアクーペで、何と言ってもこの車の特徴は車体の上部が「グリーンハウス」になっていることと、ドアの開閉方式(方法)です。

グリーンハウスとは、「温室」のことです。フロント・リア・サイドがルーフの骨格を支えるピラーを除くと、ほぼガラスに囲まれる乗車環境になります。このため、窓を閉めたままにするととても暑くなってしまうため、販売期間中の最後の改良時にエアコンの冷媒を変更しました。

窓の開閉は、小さく黒いフレームで仕切られた部分の窓が上下することで可能になっています。ちなみに、この開閉できる部分は側面衝突時や横転時にドアの開閉ができなくなっても、窓から脱出ができるような大きさを確保しています。以下で少し触れるランボルギーニ・カウンタックの場合は、細長い長方形の可動式ウィンドーですが、手しか外に出せません。この辺りの設計の緻密さはトヨタならではと言えます。

ドアは通称、「ガルウィングドア」(正確にはバタフライドア)という構造で、斜め上方に跳ね上がる構造になっています。日本の市販車でこの方式を取ったのは、このセラが初めてでした。この開閉方式は、メルセデス・ベンツの「300SL」やランボルギーニの「カウンタック」、フェラーリの「ラ・フェラーリ」、マクラーレンの「720S」など、スーパーカーの「特権」ともいうべきものです。

非常に凝ったつくりのスペシャルティーカーでしたが、販売台数としては6年間弱で約1万6000台と、それほどではありませんでした。それでも、この当時のトヨタの技術力の高さがうかがえる1台でした。

②カローラセレス(‘92年5月~‘99年12月)/スプリンターマリノ(‘92年5月~‘98年10月)

カローラセレス(‘92年5月~‘99年12月)
カローラセレス(‘92年5月~‘99年12月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

‘91年から販売を開始した7代目カローラの派生車種の1つで、4ドアピラードハードトップセダンです。ピラードハードトップとは、‘80年代中盤から本格的に流行したドアガラスにサッシュ(窓枠)がない形式・形状のことで、同社の「カリーナED」、「コロナエクシブ」などがその火付け役でした。

ピラードハードトップ自体はマークⅡや兄弟車のチェイサーでも行なわれていましたが、カリーナEDやコロナエクシブは、加えて車高がとても低かったことが特徴で、セレス/マリノもこの低全高を踏襲していました。ちなみに、マリノ/セレスともに全高は130センチ程度しかありませんでした。

デビューした当時はガソリンの1500・1600ccの高効率・実用重視のものと、さきの1600ccとは違う高回転型のスポーツエンジン3種に、4速ATと5速MTが組み合わされました。‘97年4月次にはそのスポーツエンジングレードの5速MTを6速MTに換装しました。

ピラードハードトップ形式のセダンはその後訪れるRV(レクリエーショナル・ビークル:その当時「多目的用途車」と訳され、現在の「クロスオーバーSUV」に相当します)ブームが訪れたことと、居住空間の狭さや圧迫感が災いし、‘00年を迎えるころには全高の低いピラードハードトップ4ドアセダンは新たに発売されることはほとんどなくなってしまいました。

③セプター(‘92年9月~‘96年6月)

セプター(‘92年9月~‘96年6月)
セプター(‘92年9月~‘96年6月)出典:wikipedia

セダン・ステーションワゴン・3ドアノッチバッククーペの3種類の形態を持つ車種で、セダンは日本製、ステーションワゴンとクーペはアメリカ・ケンタッキー州の「Toyota Motor Manufacturing Kentucky(トヨタモーターマニュファクチャリングケンタッキー:以後TMMKと表記します)」で製造されました。

セダンにとって非常に不運だったのが、このタイミングが当時日本で大人気だった「マークⅡ3兄弟」のいわゆる80系から90系へのフルモデルチェンジ期であったことです。

サッシュレスピラードハードトップを持つオーソドックスなモデルのマークⅡ、若者に人気のチェイサー、そしてサッシュドアを採用した大人のセダンであるクレスタは当時のトヨタのドル箱であり、「アッパーミドルカー」、「ハイソカー」という言葉を生み出した象徴的な3台でした。

そのため、セプターセダンはピラードハードトップでないことに加え、「大味な大衆向け大型セダン」、「高級セダンでFF」であるということが日本人の好みに受け入れられず、販売は低迷しました。

クーペはセダンとほとんどボディー形状が変わらないものを2ドア化したスタイルのため、走行性能や見た目のかっこよさを求められた日本のスポーツカー・スペシャリティーカー市場ではまったく評価されず、セダン以上に販売は低迷しました。

唯一健闘したのがステーションワゴンで、レガシーツーリングワゴンが先鞭をつけたブームに乗れたこと、2200ccのグレードは大柄であるわりに比較的廉価で、先に挙げたレガシーツーリングワゴンの大半のグレードとさほど価格的に変わらなかったことが割安感を生み、販売は堅調でした。

トヨタのステーションワゴンとしては数少ない格納式3列目シートを備えた7人乗りであったことも、大人数が乗れることを求める日本のユーザーに受け入れられた一因でした。

④カレン(‘94年1月~‘99年8月)

カレン(‘94年1月~‘99年8月)
カレン(‘94年1月~‘99年8月)出典:wikipedia
Qurren投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

‘93年10月から販売を開始していた同社の6代目「セリカ」の姉妹車で、多様なボディー展開をしているセリカとは異なり、カレンは2ドアノッチバッククーペのみのボディーでした。セリカが丸目4灯式ヘッドランプなのに対し、カレンは長方形・角型の2灯式になっているのがフロントマスクの大きな違いです。

機構上の大きな違いとして挙げられるのが、セリカには4WDのグレードがあり、カレンには「4WS」のグレードがあるということです。

4WSとはあまり聞きなれない機構ですが、みなさんは4WSについてご存知ですか?4WDは「四輪駆動」であることは承知していると思いますが、4WSは「四輪操舵(Four Wheel Steering)」のことで、操舵する際、後輪が前輪と同方向(同位相方式)、または逆方向(逆位相方式)に舵角をつけられる機構を持つ車です。

4WSのメリットは、コーナリング時の車体の傾き・揺れや内輪差の解消で、高速域でのコーナリングの走行安定性、また逆にごく低速域での小回り性の向上に寄与します。

少し話は逸れますが、日本では‘80年代中盤から‘90年代中盤まで、カレンを始めとするスポーツカーやスペシャリティーカーを中心にこの4WS機構を備えた車種がたくさん販売されました。

しかし、この機構の追加による車の複雑化・車重量の増加・高価格化、そして筆者は実はこれが一番の原因だと思うのですが「(特に逆位相方式4WSの)操作時のクセ・違和感」が理由で、ほとんどの車種やグレードで4WSは消えていきました。

このまま消滅してしまうかに見えた4WSでしたが‘10年頃から復活し始め、日産・スカイライン・フーガ、レクサス・GS(旧日本名アリスト)・IS(旧日本名アルテッツァ)で採用されるようになりました。

これらの車種で再び採用されたのは、後輪の操舵角を少なくしたり、操舵のタイミングをほんの少し遅らせることで、従来のクセや違和感をなくし自然なドライブフィーリングを可能にできたからです。

話は戻りますが、カレンの約6年半にわたるモデルライフでの販売台数は4万5000台弱でした。平均すると月販600台弱ですので、この手のスポーツカー・スペシャリティーカーとしてはそれほど悪くはないと思います。特段、エクステリアに難があったわけではありませんが、逆に「無難」過ぎたのかもしれません。

⑤アバロン(‘95年5月~‘99年6月)

アバロン(‘95年5月~‘99年6月)
アバロン(‘95年5月~‘99年6月)出典:wikipedia

さきほど紹介したセプターと同様、TMMKが製造するFF大型高級4ドアセダンです。V6・3000ccのガソリンエンジンと4速ATのみの組み合わせで販売されました。室内長の長さにセルシオ(レクサスLS)を引き合いに出すほどの大型キャビン設計が売りでした。

3000ccというと、同社のクラウンや先に触れたマークⅡ3兄弟のハイエンドモデル(最も高額なグレード)、ウィンダム(レクサスES)など、「身内」にライバルがたくさんいたことも影響し、トヨタの思うほど販売台数は伸びませんでした。

セプター同様、「ひょっこり現れたアメリカ生まれのFF大型高級セダン」というのは、この時代の日本には受け入れるだけの素地ができていなかったから、というのが筆者なりの分析です。

⑥キャバリエ(‘96年1月~2000年12月)

キャバリエ(‘96年1月~2000年12月)
キャバリエ(‘96年1月~2000年12月)出典:wikipedia
Kuha455405自ら撮影, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

当時、自動車輸出超過の日本とアメリカの2国間での貿易不均衡緩和を図るべく、シボレー・キャバリエをベースに日本車仕様にしてアメリカのGM(ゼネラルモーターズ)から輸入するかたちでOEM供給を受けました。筆者は俳優の所ジョージさんがCMキャラクターを務めていたことを覚えています。

ボディーは4ドアセダンと2ドアクーペの2種類、4気筒2400ccエンジンに4速ATが組み合わされました。どちらの車格も全長約4メートル60センチ、全幅約1メートル75センチの3ナンバーサイズのボディーで、海外ではこのクラスの車種を「Dセグメント」に分類します。

日本ではこの頃、‘89年時に導入された消費税と同時に改正になった自動車関係税の1つである自動車税減税の恩恵で、同社のマークⅡ3兄弟を始めとしたDセグメントアッパーミドル4ドアセダンがすでにブームになっていました。その上、クーペにとってはセリカや、その下のクラスにはレビン・MR2などがあり、車格も価格も同格のライバルがたくさんありました。

年間販売目標は2万台としていましたが、販売開始からの累計台数は3万6000台ほどに留まり、5年間だった輸入予定期間も前倒しして販売を終了しました。アメリカの車の特徴の1つである「鷹揚さ」は当時の日本人の車選びの観点には入らなかったのかもしれません。

⑦マークⅡクオリス(‘97年4月~‘02年1月)/ カムリグラシア(‘96年12月~‘01年9月)

マークⅡクオリス(‘97年4月~‘02年1月)
マークⅡクオリス(‘97年4月~‘02年1月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

100系マークⅡが前年の‘96年にフルモデルチェンジし、それに追随した形でデビューしたマークⅡクオリスですが、名前こそマークⅡを冠しているものの、ベースになっているのは同社のカムリです。

マークⅡ3兄弟はFRのセダン、カムリはFFのセダンでそれぞれ全く違うコンポーネントを使用していますが、100系マークⅡと似ていながらくせのない伸びやかなデザインで人気がありました。

マークⅡクオリスとカムリグラシアは姉妹車で、外観もほぼ一緒です。ただ、エンジンラインナップ上、カムリグラシアが直4の2200ccとV6の2500ccの2本であるのに対し、マークⅡクオリスはもう1本V6・3000ccのグレードを持っていて、ヒエラルキーとしてはクオリスの方が格上となっていました。

‘90年代はスバル(当時の富士重工業)のレガシィツーリングワゴンをきっかけにした「ステーションワゴンブーム」の真っただ中で、トヨタの数あるステーションワゴンの車種で顧客を取り合っていたのが実情です。車種が増えても、消費人口(ユーザー)が極端に増えるわけではありませんので、「系列販売店制度」のあるトヨタとしてはやむを得ませんでした。

ただ、この60年以上続いてきた系列販売店制度も間もなく終了し、トヨタの「全国全店舗全車種販売」が近々始まろうとしています。これによって「兄弟車」という販売方式も徐々になくなるだろうと筆者は考えています。

⑧プログレ(‘98年5月~‘07年5月)/ブレビス(‘01年6月~‘07年5月)

プログレ(‘98年5月~‘07年5月)
プログレ(‘98年5月~‘07年5月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

ショーファードリブンカー(運転手付き高級車)である「センチュリー」と国際戦略ブランド・レクサスの最高級車である「セルシオ(LS)」を除くトヨタの車種中、最高位にあるクラウンのユーザーの中には「車格が少し大きい」という声があり、その需要に応えるべく、「小さな高級車」をコンセプトに作られたFR高級4ドアセダンです。外国産車で言うと、メルセデスベンツの「Cクラス」やBMWの「3シリーズ」のような存在です。

全長は4メートル50センチ(‘01年4月以降の後期型は51センチ)、全幅は1メートル70センチちょうどとなっていて、車格から言えばアッパーミドルカーである、同時期に販売されていた100系マークⅡよりも1~2周りも小さいのが特徴です。後に発売された全長・全幅ともに数センチずつ大きいブレビスは姉妹車です。

クラウンを上回る品質の高さが売りで、塗装には全色5層コートを施し、静粛性向上のために吸音材を多用し、インテリアにはレーダークルーズコントロール・本革シート・高性能オーディオなどが装備されました。

また、「ウォルナットパッケージ」と称するオプションは、内装に本木目を使用しました。当時、本木目を車内インテリアで使用していたのはセルシオとセンチュリーのみでしたので、プログレ・ブレビスがトヨタとしてはそれらの2台とほぼ「同格」という扱いであったことがうかがえます。ちなみに、クラウンやクラウン・マジェスタでさえ、使用されたのは木目「調」でした。

しかし、トヨタの力の入れようとは裏腹に販売台数は伸びず、フルモデルチェンジすることなく約9年で生産・販売を終了しました。その原因は、エクステリア(外観)が保守的過ぎたことや、もっと立派に見え廉価なFR車が同社に多数あったこと、車格の割にコストがかかり過ぎていた点などが挙げられます。

ちなみに筆者は、プログレ/ブレビスの「本命対抗馬」は、当時、同社にあった日本名「アルテッツァ」として非常に人気があった、現在の「レクサスIS」だと思っています。

少し話は逸れますが、プログレ/ブレビスとプラットフォームを共有しているアルテッツァ(FR・セダン)の車格は全長4メートル40センチ、全幅が1メートル72センチと、全長がプログレ・ブレビスとほぼ同格です。

しかも、「スポーツセダン」としてのグレードも「プレミアムコンパクトセダン」としてのグレードも持ち、排気量は2000ccのガソリンエンジン2本、トランスミッションは4速AT・5速AT・6速マニュアルとラインナップが豊富でした。

特に、トヨタのスポーツエンジン「3S-GE」を搭載した「RS200」のグレードは、自然吸気エンジンながら7600回転時に最高出力210ps、6400回転時に最大トルク22.0kg-mを発生する高回転型モデルで、2500cc・1.5トン超と大柄になってしまった9代目マークⅡ(110系・最後のマークⅡ)に変わって、走り好きな若者に絶大な支持を受けました。

価格にしても、プログレの2500cc・最廉価グレードでも300数十万、マークⅡの2500cc・iR-V(5速MT)も同じく300数十万に対し、さきに紹介したアルテッツァのRS200は250万を切っていいたことを考えれば、プログレ・ブレビスやマークⅡの販売が低迷したことは想像に難くありませんし、納得もできます。

おそらくトヨタとしては、高級志向のユーザーに向けてはプログレ/ブレビスを、若者やアッパーミドルクラスのコンパクトセダンを志向するユーザーにはアルテッツァを振り分けようとしたのだと思います。それが結果的に、トヨタの思惑通りにならなかったということではないでしょうか?

⑨ナディア(‘98年8月~‘03年8月)/ガイア(‘98年5月~‘01年4月)

ナディア(‘98年8月~‘03年8月)
ナディア(‘98年8月~‘03年8月)出典:wikipedia
Toyotacoronaexsaloon投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

この2台は同社のミニバンであるイプサムと姉妹車で、基本的にいずれも当時非常に人気があったホンダのミニバンであるオデッセイの対抗馬として製作されました。

2000ccのガソリンエンジン(後に同排気量の別エンジンに換装)と、ガイアには加えて2200ccのディーゼルエンジンが搭載され、トランスミッションは4速ATが組み合わされました。「基本的に」とさきほど記したのは、イプサムを加えたこれら3台は、少しずつ内装や乗員定数に違いがあったからです。

イプサムは‘94年10月下旬に販売を開始したオデッセイに対抗すべく性急に仕立てられたものの、発売当初は目標販売台数を大幅に上回る受注を獲得しました。その後徐々に販売台数は減少しましたが、モデル末期まで一定の人気を保っていました。

イプサムを煮詰めきれなかった部分を改良・フォローする形でデビューしたのがナディア/ガイアです。ナディアはイプサムやガイアとは違い3列目を持たない5人乗りとしたため、可動式の後席(2列目シート)をスライドさせると広いレッグルームを確保できました。他の特徴として、この頃ヨーロッパで流行していたアイポイント(座面)の高い5人乗りワゴン車を意識して作られていることが挙げられます。

ガイアはイプサムの不備や粗さを改善しましたが、イプサムがある程度売れていたのに加え、悪い意味でオデッセイのコピー・後追いという評価になってしまい、販売は低迷しました。

‘00年を過ぎた頃からステーションワゴンのブームに陰りが見え始めたこと、オデッセイと明確に違うメリットを提示できなかったことで、ナディア/ガイアは市場での評価を得られないまま販売を終了しました。

また、これら3車種中唯一2代目が販売されたイプサムも‘10年1月をもって販売終了となりました。エコカー減税対象車間での競合が激しかったこと、家族向け自家用車のブームがステーションワゴンから同社のボクシーや日産・セレナ、ホンダ・ステップワゴンなどの「ワンボックスミニバン」へ移る過渡期であったことなどが原因として挙げられます。

⑩プラッツ(‘99年8月~‘05年11月)

プラッツ(‘99年8月~‘05年11月)
プラッツ(‘99年8月~‘05年11月)出典:wikipedia

本格的なコンパクトカーとして鮮烈なデビューを飾った同社の初代ヴィッツと同じプラットフォームを使用する4ドアコンパクトセダンです。第20回日本カーオブザイヤーのイヤーカーとして、上記のヴィッツ・5ドアトールワゴンのファンカーゴとともに受賞しています。

結論から言うと、日本では目立った存在ではありませんせんでしたが、アメリカでは「ECHO(エコー)」名で販売され、4ドアセダンの他に変則ドアの3ドアセダン(運転席側1枚、助手席側2枚)、また2ドアクーペもありました。

アメリカではこのクラスの車種は「サブコンパクトカー」というカテゴリーに入り、下駄代わりの「セカンドカー」、もしくは「サードカー」として重宝されています。「バジェットカー(budget car:低価格車の意)」と言われることもあります。日本で言うと、一昔前の地方の軽自動車と用途が似ています。

ちなみにヨーロッパ、特にイギリスではこのカテゴリーの車種を「スーパーミニ」にカテゴライズし、「Aセグメント」とほぼ同義で使われます。

ヴィッツのパッケージングと同様、実用性・経済性に優れ車内容積・トランク容量ともに実用に耐えられるだけの作りになっています。そのため、従業員数を多数抱える大企業の社用車(営業車など)や小型パトロールカーとしての需要もありました。

⑪ファンカーゴ(‘99年8月~‘05年10月)

ファンカーゴ(‘99年8月~‘05年10月)
ファンカーゴ(‘99年8月~‘05年10月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

前述したプラッツと同様、初代ヴィッツのプラットフォームをベースとした5ドアトールワゴンで、フロントマスクはヴィッツを彷彿としますが、Aピラー(車体の最も前方にあるルーフの支柱)より後ろの形状はまるでヴィッツとは別物であるのが特徴です。

カラーバリエーションが豊富なことに加えて、オプションで前後バンパーとリアドア下部一部の塗装をシルバーとし、ボディーカラーと塗装色を変えたカラーリングにできたのがとてもおしゃれでした。筆者は「ブルーマイカ+グレーメタリック」というツートーンのパターンがとても印象に残っています。

このクラスのコンパクトカーとしては全高がとても高く、約1メートル70センチありました。この全高を利して、前席を倒さなくても自転車が、助手席を前方へ倒すと250ccクラスのバイクまで積載可能でした。

ファンカーゴは日本だけでなく、ヨーロッパでも高い評価を得ました。車格・ボディー形状・コンセプトから言うと、ルノー・カングーがまさに「ヨーロッパ版ファンカーゴ」と言えます。その実用性の高さから、キャンプ用途やウェルキャブ(車いすに乗ったまま乗降が可能な介護福祉車両)、タクシーとしての用途もありました。

現在でも数は少なくなりましたが、たまに走っている姿を見かけます。実際、‘99年に発売されてからの販売は好調でした。それがどうして一代限りの車種になってしまったのか、筆者にはその理由が想像できなかった1台です。

⑫デュエット(‘98年9月~‘04年6月)

デュエット(‘98年9月~‘04年6月)
デュエット(‘98年9月~‘04年6月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

「♪かわいい顔してあの子わりとやるもんだねと」という歌い出しで始まる、女優の故・市原悦子さんが出演したCMが筆者にとってのデュエットです。

デュエットは、ダイハツの「ストーリア」として販売していたものをトヨタにOEM供給し、トヨタカローラ店で販売された5ドアハッチバックです。デュエットはヘッドランプの形状がアーモンド形になっていることに特徴があります。

車のヘッドランプは、まさに車の「顔つき」を決める重要な部分です。たいていはかっこよさや鋭さ、精悍さを表現するために角ばっていたり細くなっていることが多いのですが、デュエットは優しい顔つきで愛嬌がありユーモラスでした。

まさに歌詞通りのスペックがあり、「1.3S」というグレードはハイオク仕様で110psの出力を発生しました。タイヤサイズは175/60/14ですから、見た目はそれほどスポーツ走行に特化しているわけではありませんが、この車格(ヴィッツとほぼ同格)ですから十分な運動性能を持っていました。

デュエットがデビューしてほどなくして初代ヴィッツの販売が開始されたため、その影に隠れてしまい販売期間の長さの割にあまり知られていませんが、とてもいい出来のコンパクトカーでしたので一代で終了したのが惜しまれます。

⑬キャミ(‘99年5月~‘06年1月)

キャミ(‘99年5月~‘06年1月)
キャミ(‘99年5月~‘06年1月)出典:wikipedia
Kuha455405投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介したデュエット同様、ダイハツでは「テリオス」として生産・販売していたものをトヨタがOEM供給を受けて販売していたコンパクトSUVです。登録車(普通車)としては非常に全幅が狭く、1メートル55センチ程度しかなったのと、閉まっていると分かりませんが、荷室の開閉はリアハッチではなく、取っ手に手を入れて右手前に引いて開ける「バック(ヒンジ)ドア」構造になっていたのが特徴です。

また、その他の特徴として4気筒エンジンが縦置きにされていること、センターデフロック式4WDのグレードがラインナップに加えられている点があります。それらについては、車格も排気量も違いますが実質的な後継車両である「ラッシュ」の項で説明します。

同社のRAV4やハリアー・クルーガー同様、見た目はSUVですが必ずしも4WDでなくてもよいというユーザーは一定数います。そのような需要に応えるべく、翌‘00年次のマイナーチェンジ時に二輪駆動(FR)のグレードを加えました。また、デビュー時にSOHC1300ccエンジン1本であったのを同排気量のDOHCエンジンに換装し、加えてそのエンジンのターボ版もエンジンラインナップに加えました。

このような車は見た目のかわいさから女性にも乗ってほしいところですが、カラーバリエーションが乏しかったのが残念です。既存色に加えて他に数種類、明るい色やメタリック系の塗装色がほしかったところです。

塗装といえば、みなさんはトヨタの最新式の塗装方法・工程を持つ「エアレス塗装」をご存知ですか?

エアレス塗装とは、従来の「エアスプレー塗装」に代わるトヨタ最新の塗装技術で、文字通り空気を使わない塗装方式です。まずは従来のエアスプレー塗装について簡単に説明します。

エアスプレー塗装は、空気の力で塗料を微粒化したものを空気で車体に塗着させる塗装方法です。そうすると、車体から跳ね返った塗料を含む空気が散乱してしまい、塗着効率は使用する塗料の6~7割程度です。

新技術のエアレス塗装は、電気で静電微粒化した塗料を、車体に引き寄せられるように塗着します。静電気の原理はみなさんご存知かと思います。髪の毛が下敷きに吸い寄せされるのと同じ原理です。くっつき合うもの同士が+と-を帯電しているとこの現象が起きます。それを塗装に応用したのがエアレス塗装です。

このエアレス塗装による塗着効率は95%以上になり、非常に画期的な塗装方法です。副次的なメリットとして、トヨタグループの塗装工程における二酸化炭素排出量を約7%削減できる見込みがあるのに加えて、従来のエアスプレー塗装による未塗着塗料の回収装置を小型にできるため、塗装ラインの小規模化も可能になります。

トヨタはアメリカなど海外にもたくさんの事業所・従業員数を抱える一大企業です。ですから、この技術が世界全体のトヨタの生産拠点で行われれば、二酸化炭素排出量の削減に大きく寄与します。このような環境への配慮は、他の自動車メーカーも大いに見習ってほしいところです。

⑭クラウンエステート(‘99年12月~‘07年6月)

クラウンエステート(‘99年12月~‘07年6月)
クラウンエステート(‘99年12月~‘07年6月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

‘99年9月から販売されている11代目クラウンをベースにしたステーションワゴンで、クラウンのステーションワゴンとしては12年ぶりのフルモデルチェンジでした。そして、このタイミングで「エステート」名を与えられました。

ちなみに、このボディー形状の車種を「ステーションワゴン」と言うのは主に日本とアメリカで、イギリスでは「エステート」、主にフランスでは「ブレーク」と言います。

筆者は、人と荷物をたくさん載せて走る本格的なステーションワゴンは、FRが適していると考えています。理由は簡単で、後席に乗車したり荷室に荷物を載せるとリアのドライブシャフトに荷重が乗るため、駆動する後輪のトラクションが失われないからです。

そういう意味では、FFベースのステーションワゴンに荷物をたくさん載せる場合は、大袈裟に言えば車の前方(フロント)の荷重が相対的に軽くなるためトラクションが減少し、操舵にも走行安定性にも微妙に影響を与えます。その時の運転は慎重に行なうに越したことはありません。

エステートのエクステリア(外観)は11代目クラウンのフロントマスクの雰囲気を壊さず、リアにも高級かつ重厚なデザインができていて、非常にうまくまとまっていると思います。日本的な「和」を感じさせます。

ここでは紹介しませんが、筆者のかつての愛車であった3代目プリメーラワゴン(P12型系・最後のプリメーラ)のデザインも非常に秀逸でしたが、それとは対極にあります。エステートはとても日本人好みのデザインです。

そのような印象を受けるエステートは、次代12代目クラウンが‘03年12月から発売されて以降も生産され続けました。葬儀業者の霊柩車としてや、病院等で亡くなった遺体を搬送する寝台車としての需要が多かったのも、このモデルが一代で長期間生産された理由でもありました。

⑮WiLL Vi(‘00年1月~‘01年12月)

WiLL Vi(‘00年1月~‘01年12月)
WiLL Vi(‘00年1月~‘01年12月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

21世紀の新市場開拓という異業種合同プロジェクト「WiLL」のもとで企画され、「WiLLシリーズ」の第一弾として発売されたのが、4ドアセダンのパイクカー・WiLL viです。ちなみに、この「異業種」というのは、トヨタの「社内カンパニー」内で独立採算制を採る複数の事業部門を指します。

パワートレイン・フレーム・サスペンションなどのプラットフォームは、前年にデビューした初代ヴィッツの1300ccモデルを流用しましたが、エクステリア・インテリアは完全に別物でした。

パイクカー(ファッションカー)とは、レトロ調・先鋭的なボディースタイルに特徴を持つ車や、過去に実在した車でそのスタイルや形状が評価されたクルマをオマージュ(敬意を込めて模倣すること)した車のことです。

WiLL viがオマージュしたと思われる車は、‘60年代にマツダから販売されていた「キャロル」であろうと筆者は推測します。ほとんど垂直に近い設計のリアガラスは、「クリフカット」と呼ばれる特異なCピラー形状に由来します。さらに、尻下がりになっているトランク形状のため、一目でviであると分かります。

筆者はviに試乗したことがあります。前席は普通に乗ることができますが、後席は冗談ではなく本当に乗り込めません。前席を前方へスライドしないと、大人が乗る場合ひざ下のレッグルームを確保することができません。ですから、もし後席も使用する場合は非常用と考えて、普段は前席のみを使用し後席はトランクとあわせて荷室として使えば実用に供することができます。

ちなみにviには、「キャンバストップ仕様」というグレードがあり、オープンカーではないものの、防水布製(キャンバス)のルーフになっているものがありました。ルーフの大部分を解放し、キャンバスは後方に折りたたむことができました。

販売実績は2年弱で約1万5000台で、その半数が20~30代の女性でした。確かに男性が乗るには少し抵抗があるかもしれませんが、このように女性に乗ってもらうことを意識した車づくりも常日頃からあってよいと思います。

⑯スパーキー(‘00年9月~‘03年8月)

スパーキー(‘00年9月~‘03年8月)
スパーキー(‘00年9月~‘03年8月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介したデュエットなどと同様、ダイハツが生産・販売する「アトレー7」をトヨタにOEM供給したものを、同社が内外装の設えを変えて販売した非常に全高が高い5ドアミニバンです。トヨタが販売したワンボックスミニバン中、全長・全幅が最小の車種です。

全長は3メートル80センチ弱、全幅は登録車(普通車)としては異例の短さで、1メートル50センチを少し超えるくらいですので、全幅に関しては軽自動車に近い車格です。3列シートの7人乗り仕様でしたが、非乗車時でも最大出力に対して車重があるため走りは俊敏とはいえず、多人数乗車時や重量のある荷物を積載した時には明らかにアンダーパワーだったことが難点でした。

ダイハツが生産・販売しているほとんどの車種において、トヨタにOEM供給する場合、トヨタでの方が販売網の広さなどの販売力が上回る分、販売台数も上回りますが、スパーキーは逆で、多少の内外装の違いはあるもののスパーキーの方がアトレー7よりも高額だったことでアトレー7に割安感があったため、そちらに流れてしまいました。

しかし、現在でも残る「一間幅(約1メートル80)」の道路など非常に狭いところを走行する時には重宝しました。このメリットを生かした後継モデルの出現に期待しています。

⑰クルーガー(‘00年11月~‘05年11月)

クルーガー(‘00年11月~‘05年11月)
クルーガー(‘00年11月~‘05年11月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

ハリアーをベースに製造される姉妹車で、トヨタの高級SUVの先駆けです。ハリアーの方が丸みを帯びていてスタイル重視のプロポーションであるのに対し、クルーガーは角ばったややおとなしい保守的なエクステリアが特徴です。

2台の異なる点は、ハリアーは初代から現行モデルまで一貫して5人乗り仕様だけであるのに対し、クルーガーは‘03年次のマイナーチェンジの際に3列目シート仕様の7人乗りのグレードを新たに設定したことです。また、このマイナーチェンジ時にトランスミッションを4速ATから5速ATに換装しています。

すでにトヨタにはシティーユースを前提として作られたSUV・「RAV4」を持っていましたが、このクルーガーはその上のクラスのモデルとして企画されました。RAV4は俳優の木村拓哉さんがCM出演したことや、3ドアモデルは「チョロQ」の実車版スタイルで非常に人気があったことで、SUV市場には需要があると見込んだトヨタは、豪華版としてハリアー、そしてクルーガーを企画したのだと思います。

筆者は、現在の(クロスオーバー)SUVブームの源流はこのRAV4とハリアー・クルーガーと見ています。残念ながらクルーがは一代限りとなってしまいましたが、RAV4とハリアーは現在でも生産・販売されています。

余談ですが、昨年4月に販売が開始された5代目RAV4は第40回(‘19~‘20)日本カーオブザイヤーのイヤーカーに選出されています。

⑱カローラランクス(‘01年1月~‘06年9月)/アレックス(‘01年1月~‘06年9月)

カローラランクス(‘01年1月~‘06年9月)
カローラランクス(‘01年1月~‘06年9月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

‘00年8月に発売を開始していた9代目カローラをベースにした5ドアハッチバックです。車格は現在のコンパクトカーより一回り大きく、ミドルクラスのハッチバックになります。

実用性・経済性重視の1500ccガソリンエンジンに4速ATが、そして1800ccのハイスペック版ガソリンエンジンには4速ATと6速MTが組み合わされました。ハイスペック版のエンジンは自然吸気ながらリッターあたり100ps以上の出力をたたき出しています。また、セダンのカローラやカローラフィールダーには搭載されていた2200ccの自然吸気ディーゼルエンジンは、ランクス/アレックスには搭載されませんでした。

ちなみに、このスポーツエンジン「2ZZ-GE」は、同社のセリカや今後紹介する「ヴォルツ」などにも搭載されています。

フロントマスクはセダンのカローラの面影を残しますが、リアのデザインは全く異なります。筆者は個人的にこのエクステリア(外観)は気をてらわず、日本人の中庸を求める気質に合っていてよいと思いましたが、2台ともにこの一代限りになりました。

この手のハッチバックの需要はヨーロッパにあり、日本ではこの当時それほど評価されなかったのが非常に残念です。個人的にはこのくらいの車格の車は運転する上でも維持する上でも楽でよいと思うのですが…。

⑲WiLL vs(‘01年4月~‘04年4月)

WiLL vs(‘01年4月~‘04年4月)
WiLL vs(‘01年4月~‘04年4月)出典:wikipedia
Kuha455405自ら撮影, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介した「WiLL vi」に続くWiLL企画の第二弾として発売されたミドルクラスの5ドアハッチバックです。viと同様パイクカーで、デザインコンセプトは「ステルス戦闘機」です。各種あるボディーカラーのうち、筆者が最もかっこよく見えるのは紫の塗装色です。

車内に入ると内装の設えが戦闘機のコックピット調にしてあり、インストルメントパネルやシフトノブ、ハンドルにその特徴を見ることができます。また、外観に目を向けると、車高がこの頃の車としては低めの1メートル43センチにしてあるのに加え、全幅が1メートル72あるので幅広く見えるのもその1つです。

リアウィンドー下端が後ろに行くにつれて上がっているデザインのため、後席に座って窓の外を見ると視界が狭いという欠点がありましたが、パイクカーの多くはデザイン重視で設計されるため多少のネガは致し方ありません。

ちなみにvsにはさきに紹介したヴォルツのエンジンと同じ「2ZZ-GE」が搭載され、6MTが組み合わされたグレードがありました。ステルス戦闘機のイメージを体現したような外観とスペックで、一部のマニア・ファンから人気がありました。

⑳ヴェロッサ(‘01年7月~‘04年4月)

ヴェロッサ(‘01年7月~‘04年4月)
ヴェロッサ(‘01年7月~‘04年4月)出典:wikipedia
コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Mytho88だと推定されます(著作権の主張に基づく) – コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による作品だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示-継承 2.5, リンクによる

製造・販売を終了した100系チェイサー・クレスタの後継車種として新たに設計された直列6気筒エンジンを搭載するFRアッパーミドル4ドアセダンです。110系マークⅡの姉妹車で、プラットフォームを共有しています。

外観はフロント・リアともにイタリアン調で統一し日本車とは思えないデザインでしたが、その癖の強さが裏目に出て、それまでのマークⅡ3兄弟のファンからは受け入れられず、販売は不振でした。販売期間2年8ヶ月での出荷台数は約2万4000台で、かつてのドル箱であった面影はありませんでした。

不振の原因をスタイル以外に挙げるとしたら、筆者は「維持費」であると考えます。前述したアルテッツァは2000cc・1.5トン未満に収まるため、自動車税・重量税ともに過度な負担になりませんが、マークⅡやヴェロッサは、グレードにもよりますが大きく重くなってしまったことで、それらの税金や燃料費などの維持費増大が敬遠された一因ではないでしょうか?

‘98年6月から販売された富士重工業の3代目「レガシィツーリングワゴン(BE/BH系レガシィ)」が人気だった理由の1つに、ほとんどのグレードが「5ナンバーサイズ」を守ったことが挙げられます。ヴェロッサにも同じことが言えたのではないかと思います。

㉑マークⅡブリット(‘02年1月~‘07年5月)

マークⅡブリット(‘02年1月~‘07年5月)
マークⅡブリット(‘02年1月~‘07年5月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介したステーションワゴン・マークⅡクオリスの後継車種ですが、本家マークⅡ(110系・最後のマークⅡ)のプラットフォームをベースとしているため、クオリスとは違い駆動方式はFRです。そのため、ハンドリングや走りの質感はクオリスを上回りました。

ブリットは「コロナマークⅡ」から始まった約40年の歴史で、「マークⅡ」名を冠する最後の車種になりました。セダンのマークⅡはすでに‘04年11月に販売を終了し、その後継セダンは「マークX」となったためです。

走りが売りのステーションワゴンというコンセプトで、セダンのスポーティーグレード「iR」を冠するグレードが基本になっています。ライバルは日産・ステージア、ホンダ・アコードワゴン、そして同社のクラウンエステートあたりが排気量・車格で重なります。

特段ネガはありませんでしたが、先述したクラウンエステートとほぼ同時期に販売を終了しています。‘00年を過ぎたあたりから‘10年ごろまでに販売を終了してしまったステーションワゴンは枚挙にいとまがありません。

㉒ヴォルツ(‘02年8月~‘04年4月)

ヴォルツ(‘02年8月~‘04年4月)
ヴォルツ(‘02年8月~‘04年4月)出典:wikipedia
Toyotacoronaexsaloon投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

みなさんはこの車を知っていますか?恐らく知らない方の方がずっと多いのではないかと思います。それもそのはず、ヴォルツが販売されていた期間は、なんと1年8ヶ月余りしかなかったからです。

現在のカテゴリーではクロスオーバーSUVに入り、トヨタとアメリカの自動車会社GM(ゼネラルモーターズ)との共同企画・開発で生まれた車です。9代目カローラや前述したランクス/アレックスと同じ「MCプラットフォーム」をベースにしています。

エンジンは1800ccに2本、実用性・経済性重視のものと、ランクス・アレックスで触れたスポーツエンジンとがあり、4速ATと6速MTが組み合わされました。

日本で言えば、同社のRAV4や日産・エクストレイル、同じく後に発売されたデュアリス、ホンダのCR-Vなどが車格や排気量の上でのライバルですが、知名度の圧倒的な低さ・販売期間の短さ・アメリカ人好みの独特なデザインが敬遠され、販売期間中の登録台数はわずか約9000台でした。

これは、この時点でトヨタの車種として最も少ない登録台数車のワースト5に入るほどの少なさでした。トヨタの系列販売店「ネッツ店」と「トヨタビスタ店」との統合による車種整理という不運にも見舞われたことも販売期間が短くなってしまった一因でした。

今、改めてヴォルツのエクステリアを見ても、確かにフロントのデザインは独特の個性があり好き嫌いが分かれそうですが、そこまでダメではないというのが筆者の感想です。現在の日本の流行であるクロスオーバーSUV全盛期にデビューしていれば、結果は違ったものになったかもしれません。

㉓WiLL CYPHA(‘02年10月~‘05年7月)

WiLL CYPHA(‘02年10月~‘05年7月)
WiLL CYPHA(‘02年10月~‘05年7月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介した「WiLLシリーズ」の第3弾として発売されたのがこのサイファです。この車も第1弾のviと同様、初代ヴィッツとプラットフォームを共有し、ボディー形状は5ドアハッチバックのコンパクトカーです。この車のコンセプトは「ネットワークと車の融合」です。トヨタで初めての「G-BOOK(ジーブック)」に対応している車種でした。

G-BOOKは現在、「T-Connect(ティーコネクト)」に引き継がれる情報技術なので、「DCM」とともにここで説明します。

G-BOOKとは、トヨタが提供するテレマティクスサービスの1つです。テレマティクスとは具体的に言うと、ドライバーが求める情報をCD-ROMやDVDなどの記録媒体から得るのではなく、双方向通信によって情報提供者(この場合はトヨタ)から車に情報を送信するとともに、車からも走行情報を送信するシステムです。

G-BOOKの主な機能として、エアバッグ作動時の救急隊への自動緊急通報や車両盗難時の追跡、交通情報や天気予報の閲覧、電子メールの送受信などです。また、サイファにはこのシステムを利用したこの車種限定のカーリースプランがあり、走行距離に応じてリース料金が課金され、その走行距離は搭載されているG-BOOK端末から送信されるという仕組みです。

DCMとは、WiLL CYPHAで採用したテレマティクスサービス「G-BOOK」以降、トヨタが改良し展開している通信サポートサービス「T-Connect(ティーコネクト)」で使用する車載用通信機のことです。

T-Connectを利用するにはDCM(Data Communication Module:専用通信機)を利用する方法と、手持ちの通信機器を利用する方法とがありますが、ここではDCMを利用しての方法について述べます。

T-Connect対応ナビとDCMを車載すると、車とトヨタスマートセンターの双方向の通信が可能になり、音声対話サービス・先読み情報案内サービス・マップオンデマンド(地図データ更新)・オペレーターサービスなど多岐にわたるサービスを受けられます。

DCM利用には申し込みと年間使用料が必要になります。申し込みから最初の1年間は無料で、それ以降は年間約1万3000円かかります。これには、パケット使い放題・オペレーターとの通信・通話料金も含まれています。DCMは現在、アルファード・クラウン・カローラスポーツ・プリウスなど一部の車種にしか標準装備されていませんが、トヨタは今後国内で発売するほぼすべての乗用車に搭載するとしています。

話はサイファのG-BOOKに戻ります。リース契約を結んだユーザーは多かったものの、走行距離がトヨタが想定していたよりも短かったため採算割れになってしまうことから、販売期間終了時の‘05年8月にサービスも終了しました。

'99年8月から始まった「WiLLプロジェクト」が‘04年7月で終了したこと、販売していたビスタ店とネッツトヨタ店との統合などで一代限りの車種となりました。

フロントの縦長・長方形のヘッドランプが非常に特徴のインパクトのある車です。でも、どうせならリアのデザインにもうひとひねりあってよかったというのが筆者の個人的な感想です。

㉔ベルタ(‘05年11月~‘12年6月)

ベルタ(トヨタ:2012年6月)
ベルタ(‘05年11月~‘12年6月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介したプラッツの後継車種で、‘05年2月から販売されている2代目ヴィッツとプラットフォームを共有する4ドアコンパクトセダンです。とは言え、ベルタにはヴィッツとは異なる専用設計がなされていて、よい意味で別の車種になっています。

同社の4ドアセダン・カローラ(アクシオ)をそのまま小さくしたと言われてしまうと返答に困ってしまいますが、筆者はコンパクト4ドアセダンには必ず一定数のユーザーが存在すると思います。

大きな車格の車に乗るのがおっくうになってしまった高齢者の方にこそ特にベルタを薦めたいです。独立したトランクルームを持つセダンは用途やTPOを問わず乗れますし、何より小さい車は取り回しが楽であるというメリットがあります。また、MTに慣れた高齢者の方のために、既存のCVT・4速AT(4WDのみの設定)に加えてMTのグレードを追加してほしいです。

また、ベルタのCMには女優の鈴木京香さんが起用されたことを考えると、女性にも乗ってほしいというメッセージが込められていたと思います。それならば、紫・黄・黄緑・オリーブなどの塗装色があれば、女性ユーザーに対してもっとアピールできたのではないでしょうか?

㉕ラッシュ(‘06年1月~‘16年3月)

ラッシュ(‘06年1月~‘16年3月)
ラッシュ(‘06年1月~‘16年3月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介した「キャミ」の実質的な後継車で、ダイハツで製造・販売されたコンパクトSUV「ビーゴ」のOEM供給を受けてトヨタで販売されたのがラッシュです。キャミよりも車格・排気量を大きくし、5人の乗車とその荷物がちゃんと積載できるようになっています。

現在では非常に珍しい縦置きの4気筒エンジン1500ccに、4速ATと5速MTが組み合わされています。4WDのグレードは4速ATのグレードの一部と、5速MTのグレードすべてに設定されています。

キャミから継承されている縦置きエンジンとは、ボンネットを開けた時、手前から奥に向かって気筒が並んでいるエンジン搭載方式で、詳しい説明は省きますが、左右の重量バランスがとりやすい、プロペラシャフトなどの重量のある構成部品などを車体の中心線上に集めやすいといったメリットがあります。

4WDのグレードは車内にあるボタンでセンターデフをロックできる機能がついているので、ぬかるみや凍結路などに摩擦係数の低い(駆動力が得られない)タイヤが乗ってしまっても、それ以外のタイヤに力を伝えられるため、実用性の高いフルタイム4WDになっています。

車体色と同色に塗装された、スペアタイヤを格納する背面のハードカバーもエクステリアのデザインの一部としてマッチしていて、とてもおしゃれです。筆者の一押しの塗装色はライムグリーンです。走る姿が街の風景をポップなものにしてくれます。

FRと、それをベースにする4WDのコンパクトSUVというのはとても面白いコンセプトです。ですから、2代目以降の発売に期待していたのでとても残念です。

ちなみに、筆者はラッシュと現在所有しているT31エクストレイル(2代目エクストレイル)のどちらを購入するか迷った結果、クリーンディーゼルという新時代のエンジンにも興味があったためエクストレイルを選択したという経緯があります。

㉖マークXジオ(‘07年9月~‘13年12月)

マークXジオ(‘07年9月~‘13年12月)
マークXジオ(‘07年9月~‘13年12月)出典:wikipedia
CEFICEFI投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

‘05年の第39回東京モーターショーで発表されたコンセプトカー「FSC」の市販化モデルとしてデビューした高級5ドアステーションワゴンです。レクサスブランドの車種を含むトヨタ内のCセグメントFF車専用のプラットフォームが使用されています。

Cセグメントとは、おおよそ5ナンバー規格(全長はそれより短めの4メートル20~50センチ、全幅1メートル70センチ)のサイズを指します。全幅については近年、側面衝突安全上大きくなっている傾向があるので、1メートル75センチくらいのものも指す場合もあります。

エンジンラインナップは直4・2400ccとV6・3500ccの2本で、前者にはCVTが、後者には6速ATが組み合わされました。FRのアッパーミドルカー・マークXの名前を冠していますが、前述したように駆動方式はFFです。

フロントオーバーハングが短く厚みがあるため、とてもボリューム感のあるデザインです。シートの形状・アレンジが独特です。大人4人がゆったりと座れる独立した前席2座・後席2座に加えて、使用されるシーンによって格納式3列目シートを使用すると最大7人まで座れるグレードがありました。

トヨタはこの車を、「セダン・ステーションワゴン・ミニバンのクロスオーバーとしての役割がこの1台で可能です」と言いたかったのではないかと思います。しかし、筆者は多人数乗車には、乗降のしやすさや居住性の安楽さはやはりミニバンにはかなわないし、兼用できないと思います。

後に5人乗りとした最廉価グレードを加え価格を250万を切るグレードを用意しましたが、それならば最初の6人/7人乗りはなんだったのかということになってしまいます。4枚ドアを持つ車は、やはり5人乗りまでとし、6人以上の乗車機会がたびたびある場合は、ミニバンを購入することをおすすめします。

㉗iQ(‘08年11月~‘16年3月)

iQ(‘08年11月~‘16年3月)
iQ(‘08年11月~‘16年3月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

ヨーロッパの各自動車メーカーが力を入れていたコンパクトカー市場において、さらに小さなサイズである「ミニマムカー」をトヨタ流に解釈して計画し、‘07年9月のフランクフルトモーターショーで発表されたのが「iQコンセプト」です。

ミニマムであることは実車を見れば一目瞭然で、なんと全長は3メートルほどしかありません。これは、軽自動車の全長の規格である3メートル40センチを大幅に下回る長さで、驚きに値します。この長さで、3人の大人と子供1人、または荷物を載せるというコンセプトで製作されました。

ただ実際にはフル乗車に近い乗員だと荷物がまったく載らないというのが、小さすぎるボディーのネガです。リアハッチを開けると後席とのすき間はわずかで、実用的な荷室としては全く機能しません。現実的に使うのであれば、2シーターのグレードを選択するか、普段の乗車には前席だけを利用し、後席は背もたれを前方へ倒し込み荷室として使い、緊急用として人を乗せるというのがよいでしょう。

小さい割に車重はあり、最も廉価なグレードでも約900キロあります。これで人と荷物をとなると、2本あるエンジンのうち大きい方・1300ccの方が過不足なく走れます。また、1300ccのグレードには6速MTが組み合わされるグレードがあるため、ホットハッチとしても楽しめます。

「軽自動車よりも小さい普通車」というアイデア・コンセプトはとても新鮮味があります。しかし、軽自動車ではなくあえてiQを選択するだけの理由に乏しいのが難点です。現在の軽自動車は運動性能も居住性も高く、それでいて荷室も確保しているというレベルの高さです。ですから、iQがまた販売されるのであれば、軽自動車と車格を競ったうえで、iQならではのものを盛り込んだ車として復活してくれるのを期待しています。

ちなみに、筆者はフランクフルトモーターショーで披露されたコンセプトカーのフロントマスクのデザインをそのまま市販化すればよかったと思っています。市販化されたモデルは常識的・一般的なものになりましたが、コンセプトモデルの三角形の角ばった「吊り目」2灯式ヘッドランプは、「先進的・未来的」なイメージをこの車に与えられたのではないでしょうか?

㉘FJクルーザー(‘10年12月~‘18年1月)

FJクルーザー(‘10年12月~‘18年1月)
FJクルーザー(‘10年12月~‘18年1月)出典:wikipedia

もともとは対北米輸出専用として開発された5ドアSUVで、最初に登場したのは‘03年の北米国際オートショー(旧デトロイトオートショー:世界5大モーターショーの1つ)に出展したコンセプトカーが始まりです。この後、‘05年の再出品を経て‘06年モデルとして北米で販売が開始されました。

ガジェット色が強いこの車は個性的なレトロ調のデザインと塗装色で話題を呼び、日本でのデビュー以前はアメリカから逆輸入というかたちで持ち込まれました。その後、日本国内での販売が決定し、‘10年12月から販売を開始しました。

後席ドアの開閉に特徴があり、マツダがかつて販売していたスポーツカー「RX-8」と同様観音開きになっています。荷室はハッチではなくヒンジドアになっていて、右側についている取っ手を左手前に開放して開けるようになっています。また、背面タイヤがリアウィンドーの視界を干渉しているため乗車時の後方視界が悪く、バックソナーが全車標準装備となっています。

エンジンラインナップは4000ccのガソリンエンジン1本、それに5速ATが組み合わされます。全グレードがリアデフロック付きパートタイム4WD仕様です。北米輸出向けには6速MTや2WD仕様のものがありました。日本で販売するならば、さきに紹介したハリアーやクルーガーのように二輪駆動のグレードを用意したり、さらに言えばクリーンディーゼルエンジンのグレードを選択できればよかったと思います。

見た目もファニーで走破性能も高く、車のできとしては非常によいと思います。ただ、車両本体価格が最も廉価なグレードでも300万円をゆうに超え、4000ccの排気量ですから相当の維持費がかかります。これが300万円を切り3000ccくらいまでの排気量であれば、もっと販売できたのではないかと思います。

㉙ブレイド(‘06年12月~‘12年4月)

ブレイド(‘06年12月~‘12年4月)
ブレイド(‘06年12月~‘12年4月)出典:wikipedia
Mytho88投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

当時のトヨタとしては初めての試みがこのブレイドで、「プレミアムハッチバック」という新機軸を打ち出しました。翌年(‘07年)8月にハイエンドグレードとなる「ブレイドマスター」が発売された時、筆者が真っ先に思い浮かんだのがフォルクスワーゲンの「ゴルフ」でした。なぜゴルフが思いついたかについて、少し長くなりますが説明します。

初代ゴルフは‘74年に発売された主にハッチバックを展開するコンパクトカーで、その頃のゴルフの車格は現在のフォルクスワーゲン「ポロ」よりもさらに1~2回り小さなコンパクトカーでした。

そのコンセプトが大きく変わったのが、‘91年から販売された3代目です。全長が4メートルを少し超え、たくさんあったエンジンラインナップ(日本輸入モデルはガソリン:1800cc・2000cc、ディーゼル:1900cc)に加え、V6・2800ccという車格からは考えられない大排気用のものが1本ありました。

単に3代目ゴルフを過不足なく走らせるだけならば、ガソリン・ディーゼルの既存のエンジンで十分だったはずです。それなのに、なぜ不似合いなほどの大排気量・高出力のエンジンを与えたのか筆者なりに考えました。

見た目を大きくすることは、誰にでもわかる「高級化」の1つの手法です。しかし、ゴルフが属していたA~Bセグメントの枠を超えてしまったら、それはゴルフである意味がなくなってしまいます。上のセグメントにはまた別の車種があるからです。

車格を大きくしないで高級化する手段の1つが「排気量(スペック)の向上」ではないかと考えられます。ちなみに、さきに言及した3代目ゴルフのV6・2800cc「VR6」グレードの価格は370万円でした(‘93年当時)。同じゴルフでありながら、最廉価グレードと150万近い開きがあります。

このようなグレード設定はこの後の代にも引き継がれ、ブレイド・ブレイドマスターがデビューした‘07年8月時点でも5代目ゴルフには「R32(アールサーティートゥー)」というハイエンドスペックが存在しました。

話をブレイド・ブレイドマスターに戻します。ブレイドがデビューした時のエンジンは直4の2400ccで、これにCVTが組み合わされたものだけでした。そして、翌年に追加されたグレード「ブレイドマスター」のエンジンはV6・3500ccで、これに6速ATが組み合わされました。

これは私見ですが、トヨタはこのゴルフの手法をブレイド・ブレイドマスターで実践したのではないでしょうか?車格も全長×全幅×全高の順に、ブレイド・ブレイドマスター(4260×1760×1515:単位はミリメートル)、ゴルフ・R32(4250×1760×1505)となっていて、両車ともほとんど同格です。

結論を言うと、トヨタのこの試みは結実せず販売は非常に低迷し、販売期間末期には月販100台を割り込んでいました。

日本のコンパクトカー市場においては、ブレイドのようなコンセプトを持つ「プレミアムコンパクト」がほとんど認知されていなかったことが一番の原因だったと思います。ですから、「ブレイドマスター」というハイエンドグレードはさらに受け入れられにくかったはずです。

ゴルフは長い時間をかけてこのグレード展開をユーザーに発信し続け支持を得てきました。もしトヨタが同じ手法を取るのであれば、一代限りではなく数十年にわたって同じコンセプトを継続する必要があります。

㉚カローラルミオン(‘07年10月~‘16年1月)

カローラルミオン(‘07年10月~‘16年1月)
カローラルミオン(‘07年10月~‘16年1月)出典:wikipedia
baku13 – photo taken by baku13, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

さきに紹介したブレイドと同じトヨタの「新MCプラットフォーム」をベースにして作られる、日本国内で販売されるカローラシリーズでは初の3ナンバーモデルになる5ドアトールワゴンです。見た目はステーションワゴンですが、165センチに迫る全高があるため、ボディー形状のカテゴリーではトールワゴンになります。

ルミオンには原形があって、トヨタが北中米で‘03年~‘16年の間に展開していた若年層をターゲットとしたブランド「Scion(サイオン)」で販売していたサイオン「xB」がそれです。ちなみに、このxBは日本国内で「bB」として販売されていた車種です。

ルミオンに求められていたのは、ずばり「カローラシリーズの若返り」です。カローラはルミオンがデビューした時点で40年の歴史を持つ車種・車名でした。そのため、購買層は年々高齢化していて、トヨタは今後の展開を考え現在の20~30代の若者をメインターゲットとしてこの車を開発しました。

ボディーはbBのキープコンセプトで、「直線・直立」を基調としています。特段アクやくせがなくオーソドックスなスタイルでbB同様、若者に受け入れられると思いましたが、そうはなりませんでした。

筆者には現在の20~30代の若い世代の人たちは、独身であれば軽自動車、もしくは同社のアクアのような、「小さく」、「少人数乗車の」、「燃料消費率の低い」を車に求める傾向が強いと思っています。その観点から言うと、ルミオンがそれらの価値基準からは外れていたことがこの車の販売が低迷した理由だと考えられます。

番外編1:エミーナ/ルシーダ(‘92年1月~‘00年1月)

エスティマエミーナ(トヨタ:2000年1月)
エミーナ(‘92年1月~‘00年1月)出典:wikipedia
Tennen-Gas投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

‘90年5月に発売されたエスティマ(親エスティマ)のシュリンク(縮小)版で、エスティマよりも一回り小さいボディーを持つワンボックスミニバンです。そのことから、エミーナ/ルシーダを「子エスティマ」と言うことがあります。なお、親エスティマは昨年(‘19年)11月まで3代目が生産・販売されていました。

親エスティマ同様、エンジンが車内2列目シート下に搭載される「ミッドシップ」形式で、ワンボックスミニバンとしては異例のレイアウトでした。親エスティマの2400ccガソリンエンジンに加えて、インタークーラーターボ化した2200ccのディーセルがあり、これらに4速ATと5速MTが組み合わされました。

エミーナ/ルシーダは、同じコンセプトであったものの高額だった親エスティマに代わり、当時人気があった日産・バネットセレナ(現在のセレナ)の対抗馬として期待され、居住性の高さや卵形のボディー形状が人気を呼び、ピーク時にはルシーダの月販台数が約1万2000台、エミーナが約8000台を記録したこともありました。

最大のネックは、1.6トンを超えるボディーを軽々走らせるにはアンダーパワーで、ガソリンエンジンの2400cc、ディーゼルエンジンの2200ccでは明らかに力不足でした。しかし、2列目シート下のエンジンルールは、多気筒化するにはスペース上の問題があり、ハイパワー化が実現できないまま‘00年1月にこの一代限りとなってしまいました。

エンジンという重量物が車体中央にあるためハンドリングはよく、この一代で終わらせてしまうには惜しいコンセプトです。エンジンを現在トヨタが持っているハイパワーなクリーンディーゼルに換装したり、2列目シート設計やフロアの形状などを改良して、いつか復活してくれることを期待しています。

番外編2:ターセル

初代ターセル
ターセル(初代:1978年 – 1982年)出典:wikipedia

ターセルはトヨタで20年以上の歴史があった車種で、4ドアセダンだけでなく、3/5ドアハッチバック、日本では未発売でしたが北米仕様には2ドアクーペも備える、多様なボディー展開をしていました。

実はターセルは、姉妹車である「コルサ」とともに‘78年8月に初代の販売が開始された、トヨタ車としては最初のFF車でした。2代目へのモデルチェンジの際、もう1台の姉妹車「カローラⅡ」を加え、「タコカニ3姉妹(ターセル・コルサ・カローラ2)」となりました。最後に加わったカローラⅡのみ、デビューから最後となった4代目までハッチバックのみのボディーでした。

トヨタが抱える車種ラインナップ中、これらのカテゴリーは「エントランスカー」という扱いで、価格が抑えられている以外に特徴のない車というのが日本のユーザーの評価でした。そして、同社のスタンダードカー・カローラよりも「格下」というイメージも強かったせいか、販売は今ひとつでした。

プラッツの項でも触れましたが、これらの車種はアメリカを始めとする海外では「バジェットカー」とも呼ばれ、低価格の割に室内空間や荷室を確保できているという実用性が高く評価されて人気がありました。日本ではそれほど評価されないことがとても残念です。

テロ対策ユニットに所属する主人公が24時間以内に事件(主にテロ)を解決するというアメリカの人気ホームドラマでも、ターセルの後継車であるベルタが出演を果たしていることから、日常的に使用されていることがうかがえます。

筆者がもう1つターセルを残念に思うのは、その名前です。ターセル(Tercel)は英語で「ハヤブサの雄」を意味します。とても強そうなイメージなのですから、車格はともかくそれに見合った実用性以外にも何か特徴のある車種であってくれたらよかったのに、というのが正直な感想です。

3. 一代限り終わったトヨタ車は本当にダメだったのか?

紹介した30台以上に及ぶトヨタの「一代限りで終わった車」でしたが、いかがでしたか?トヨタはフルラインメーカーでたくさんの車種を抱えていますが、短命で終わってしまった車種も少なからずあります。

ちなみにここでは紹介しませんでしたが、一代限りで終わった車に「メガクルーザー(‘96年1月~‘01年12月)」、「トヨタクラシック(‘96年)」、「オリジン(‘00年11月~‘02年12月)」がありますが、それらを紹介しなかったのは、もともと一代限りの限定生産・販売であったこと、特殊な用途・車輌だったからであることをここに付記しておきます。機会があれば、別のテーマの時に触れようと思います。

こうして見てみると、一代限りで終わった車には、たいていそれぞれ理由があることが分かります。アメリカ生まれのテイストが日本人に馴染まなかったこと、ステーションワゴンやRVのブームの訪れと終焉、ワンボックスミニバンブームの到来、アメリカなど海外では評価され人気があったけれど日本ではそうならなかったもの、ゴルフに倣ったブレイドマスターがゴルフのようにならなかったこと、自社内に多くのライバルがいたことなど、販売系列店の統合・車種整理など、理由はいろいろありました。

一代で終わってしまた車でも、よいところがまったくなかった車種というのは存在しません。結果的にトヨタのあらゆる試行錯誤が販売や人気に帰結しなかったと考えるべきです。

しかし、トヨタの強みは、一代で終わらせてしまった車種でも、いいとことはいいところとして後継の車種にそれを再投入したり、改良して再登場させることです。特に、新機軸として打ち出したものは市場に受け入れられない場合もありますが、それも含めてその後の車種開発に生かしていく諦めない姿勢が「世界のトヨタ」と言われる所以です。

最初の方で触れましたが、トヨタは今後、全国全店舗全車種販売に移行していきます。そうなると系列店販売時の「兄弟・姉妹車販売戦略」もなくなっていくだろうと考えられます。そうなれば、車種はおのずと減少していきます。それはそれで残念な一方、多様なニーズを持つユーザーに対してどのような答えを出すのか、今後トヨタから発売される未来の「一代では終わらない車種」に期待しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です